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清風与平 「染付山水画花瓶」

2020.03.20

 

お客様より買取致しました、清風与平 「染付山水画花瓶」

 

本日は「清風与平」ついてご紹介いたします。

 

清風与平と言えばやはえい独特の画力にあるものと思います

 

一見、柄のような文様に見える作品

 

しかし、間近でみると人物など細部まで書き込みをした風景に人物画

 

あらゆる角度で描かれた染付絵に手間と時間を費やしているのがみてとれる作品です。

 

 

 

 

 

 

■~道八に師事~■

 

清風与平(せいふう よへい)は、享和より続く家系。

初代清風与平が師事した人物は、京焼の名手として知られる「仁阿弥道八(高橋道八)」である。

そのため、染付・朝鮮写・白磁・色絵などの焼成に長けていました。

 

道八から学んだ技術と与平の感性と着眼点からみた作品は、

陶磁器に絵画のような画法を意図的に取り入れた染付の作品、当時では独特な表現として異色ともみられる作品。

それが後に4代まで続くこととなる清風与平の持っていた独自の魅力とそれらの再現を可能とした技術でした。

 

■~帝室技芸員~■

 

清風家は2代、3代と着実に陶芸家として名声を積み上げてきました、

特に3代名は2代の妹であるくまと結婚、婿養子となった人物ですが、

田能村直入に師事していた経験を生かす形で独自の技法を見出すことに成功しています。

2代が若くして亡くなり、すぐに襲名しており、そこから15年後の42歳と若くして業界初の帝室技芸員として任命されます。

3代目清風与平として業界では知らぬ者はいない程に名声を得ることとなり、

作品を求める者が後を絶たたない程の名工となりました。

 

■~画力と陶芸の技法~■

 

清風与平の作風は画法を取り入れたような作風、陶磁器に余白を残さない程の描きこみ、

細部まで描かれた作品は皆が目を引き留める程の画力と陶芸の技法が交じり合った独自の魅力を持った作品です。

現在でも三代は帝室技芸員として任命された経由もあって作家として特に高い評価を持っています。

 

実子である次男が4代を継ぎましたが、平成2年に没、

現在では代も途切れてしまい、残念ながら新たに清風与平とした作品が誕生することはありません。

 


 

清風与平』をお持ちの方は、ひるねこ堂へ査定を依頼してみてはいかがでしょうか。

ひるねこ堂では『清風与平』を高価買取致しております。

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十三代 酒井田柿右衛門「錦菊鳥文花瓶」

2020.03.10

 

お客様より買取致しました、十三代 酒井田柿右衛門の作品「錦菊鳥文花瓶」

 

本日は「酒井田柿右衛門」ついてご紹介いたします。

 

すらっと伸びた曲線が柔らかい印象の花瓶

 

中心に大きな菊の花に鳥を描いた花鳥図

 

【錦】・【染錦】・【濁手】三種の内、錦の作品になります。

 

 

 

 

 

 

 

■~酒井田家~■

 

酒井田家は、1640年代に日本で最初の色絵磁器を完成させたといわれる有田の名窯。

370年を経てその名は今もなお連綿と受け継がれています。

祖父十二代柿右衛門に父の十三代、息子である十四代柿右衛門とともに江戸後期にすたれたといわれる乳白色の濁手(にごしで)白磁素地を復元しています。

「にごしで」は、この地方では米の研ぎ汁をいい、この乳白色の素地は、余白を十分にとることで色文様をより美しく際立たせる効果があります。

 

■~重要無形文化財総合指定~■

 

昭和46年に十三代柿右衛門を会長とした「柿右衛門製陶技術保存会」が結成され、伝統の濁手による柿右衛門様式を制作する技術を保持する団体として、重要無形文化財総合指定に認定。

十三代の他界後に改めて同保存会が総合指定され、十四代が引き継いでいます。

 

■~研鑽~■

 

柿右衛門は代を引き継ぐに都度、柿右衛門様式の陶磁器に対する技術の向上を図っています。

十四代柿右衛門は多摩美術大学日本画科を卒業しています、それは将来柿右衛門窯を主宰する者として絵画的な構想力を養うためにと、父である十三代柿右衛門の意向にそったものでもありました。

十二代、十三代から絵具の調合法の指導を受け、後年「約十年にわたって祖父や先代から絵具の調合を学び、その技術を修得したことが、今日の私にとって最も有益なことであったと確信しています」と語っています。

歴代柿右衛門は研鑽を重ね、当代は十五代となり、現在も伝統を伝え繋いでおります。

 


 

酒井田柿右衛門』をお持ちの方は、ひるねこ堂へ査定を依頼してみてはいかがでしょうか。

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楠部彌弌 「碌釉魚文花瓶」

2020.03.01

 

お客様より買取致しました、楠部彌弌 「碌釉魚文花瓶」

 

本日は「楠部彌弌」ついてご紹介いたします

 

楠部彌弌は、様々な技法による作品を残されています

 

その一つである碌釉(緑釉)による作品、何層にも塗られた釉薬が深みのある色を出しています

 

うっすらと浮出た魚文が特徴的です。

 

 

 

 

 

 

■~八木一艸に河村熹太郎~■

 

楠部彌弌は、京都市東山区の四男として生まれる。
父親が楠部貿易陶器工場を経営してたのもあってこの時点で既に陶器造りに縁のある環境で育ちました。

父の意向もあり市内の陶磁器試験場付属伝習所入所、

この時に同期として共に勉学に励んでいたのが後の陶芸運動にも参加していた陶芸家の八木一艸(やぎ いっこう)に河村熹太郎(かわむら きたろう)の両名にあたります。

さらに陶磁器の知識を深めることとなります。

 

■~赤土・耀々会~■

 

年月が過ぎ、陶磁器試験場付属伝習所を卒業。

父の意向に反して工場は継がず、陶芸家としての活動の意思を固め、粟田山にアトリエを構え創作陶芸に勤しむ。

著名作家である河井寛次郎、黒田辰秋、川上拙以、池田遥邨、向井潤吉らと交流を深めさらに陶芸家として刺激を受けることとなり、再び同期であった八木一艸と河村熹太郎と再会。

共に新陶芸運動「赤土」として結成、陶磁器をさらに美術性の高い美術品として昇格させるべく活動を始める。

 

大阪を中心に活動を続けていましたが、各々の活動もあってか次第に活動の幅も狭まり、本格的に活動を停止。

楠部自身はパリ万博に出品受賞するなど着々と実力と功績を残す、次第に出品活動が落ち着いた頃には改めて八木一艸らと共に新たに「耀々会」を結成。

着実に実績と功績を積み重ね、ついには帝展無鑑査として無条件に作品を出品できるまでになる。

 

■~彩埏~■

 

古陶磁や仁清などの研究に没頭する日々の中で、独自の技法を生み出すことに成功、それが彩埏(さいえん)。

彩埏は釉薬を磁土に混ぜ何度も塗り重ねることで、他にはない独特の深い色あいを生むことを可能に、そして画力にも優れていたため流れるような線で構成された文様、淡く落ち着いた色合いには気品に満ちあふれた作品が生み出されます。

 

無論、陶芸家として実験的な試みで、白磁・青磁・染付・均窯・鉄絵・色絵など様々な技法を研究していました、
ろくろの技術に秀でていたため、それぞれが見事な作品として完成度の高い作品として現在も高く評価されています。

 


 

『楠部彌弌』の作品をお持ちの方は、ひるねこ堂へ査定を依頼してみてはいかがでしょうか。

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十四代 今泉今右衛門「錦桃絵花瓶」

2020.02.20

 

お客様より買取致しました、十四代 今泉今右衛門の作品「錦桃絵花瓶」

 

本日は「 今泉今右衛門 」の作品についてご紹介いたします

 

墨はじきを用いた文様、鮮やかな発色の染付、

 

桃の絵図を主とした細部にまでこだわった上質な造りの花瓶です。

 

 

 

 

 

 

 

■~今泉今右衛門の理念~■

 

今泉今右衛門が手掛ける色絵磁器は、江戸期の概ね350年由来の「色鍋島」の伝統。

赤絵の調合・技術により高い品質を実現した現在の色鍋島、一子相伝の秘法として十四代まで伝えらてきました。

その卓越した技術は、国の重要無形文化財保持団体の認定を受けています。

 

今右衛門は、江戸期より続く手仕事の技術を世代継承を続けること、そしてその技術によって造られる色絵磁器により人々の暮らしを豊かにすることを大きな理念としています。

 

■~色鍋島焼~■

 

鍋島焼(なべしまやき)は、17世紀から19世紀にかけて製造された高級磁器。

鍋島焼の技法は伊万里焼に受け継がれており、伊万里を総称に日本における磁器の代表的な産地として知られるまで成長。

その中で佐賀県伊万里市南部にあった藩直営の窯では藩主の所用品や将軍家・諸大名への贈答品などの高級品とした製造を行っていました。

 

しかし、伊万里焼きが認知されていく中で長きにわたり鍋島焼の伝統を引き継がれていたものの、次第に鍋島磁器を求める者も少なくなり、明治4年頃に時代の移り変わりと共に鍋島焼の技法は途絶えてしまいます。

そういった状況の中、一度は途絶え失われてしまった技法を今泉今右衛門家により近代工芸品として復興、昭和8年に大宮御所・貞明皇后より古くの伝統技術を保護するためにとの御用命を受け、現在に至ります。

 

■~墨はじき~■

 

鍋島の代々の仕事を継承していく中で鍋島の品格と格調をいかに守ることを理念に持つ。

色鍋島の代表する技法の一つである「墨はじき」、十四代よって独自に創出された作品に対する拘りと信念の表現。

 

「墨はじき」は江戸期に鍋島焼の白抜きを行うための技法として応用されていた技術。

現在では簡易的に白抜きを行う方法があるため、鍋島焼同様に一度は失われた技法です。

 

14代今右衛門はそこに着目し、あえて一手間二手間かけることで背景である主文様を引き立たせるために「墨はじき」の技法を使い描く、「墨はじき」だからこそ現れる独特の雰囲気を鍋島らしさとして追求されています。

 


 

『今泉今右衛門』の作品をお持ちの方は、ひるねこ堂へ査定を依頼してみてはいかがでしょうか。

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鑑賞石・水石「古谷石 谿聲」

2020.02.03

 

お客様より買取致しました鑑賞石、古谷石 「谿聲」。

 

本日は「古谷石  谿聲」ついてご紹介いたします。

 

古谷石(ふるやいし)の主産地は、和歌山県の一部の山中で採石されていた水石

 

谿聲(けいせい)谷川のせせらぎ、水音を表現した言葉

 

左右に大きく伸びた山脈が独特の表現が出いてる谷川を連想させる水石です。

 

 

 

 

 

 

 

■~台座と花台~■

 

水石にとって台座は石の魅力を最大限に引き出すためのアイテムとして、なくてはならないもの。

しかし、石は自然に構成された天然物。

凸凹した面に想定して予め台座を作るというのは不可能な話、そのため花台を用いてそれに合わせるよう石の底面を平面にカットして花台の上に水石を飾る者もいる。

しかしそれは愛石家にとっては認めたくないもの、せっかく採石し、愛でた石に手を加えるというのは言語道断であると考える者も多くいました。

 

■~ブームの到来~■

 

せっかく愛でた石、最大限に魅力を引き出すために唐木を用いて自身で愛でた石の専用台座を彫り起こす者も現れました。

水石に唐木の台座用いることで一つの完成系として見た者を虜にしました、新たな可能性を垣間見えた瞬間でもありました。

誰もが手彫りで台座を彫刻できる程器用ではないし上質な唐木は高く、中々手に入らない時代でもありました。

そこで木工細工を得意とする彫刻家に注目が集まり、発注が殺到したことで石のブームをさらに加速させる出来事となりました。

 

■~台師~■

 

花台に加えて水石の台座の需要が出たことで木工芸を得意とする者はさらに活動の幅を広めました。

中には、鑑賞石・水石の専用台座などを得意とした台師を名乗る者が現れ、様々な木材を用いて多種多彩に造形された作品を多く製作されました。

紫檀を使った台座、黒檀を使った台座、中には花梨を使った物まで。

足のついた台座など用途に合わせて様々な表現を魅せることでより石の世界が広まり、極まったものに発展しました。

 


 

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鑑賞石・水石「古谷石 大雪渓」

2020.01.06

 

お客様より買取致しました、鑑賞石・水石「古谷石 大雪渓」

 

本日は「古谷石 大雪渓」ついてご紹介いたします。

 

古谷石(ふるやいし)の主産地は、和歌山県の一部の山中で採石されていた水石

 

雪渓(せっけい)は、日本にある三大雪渓の山景

 

その様を連想させる姿から大雪渓と銘されていた水石です。

 

 

 

 

 

 

 

 

■~台座と水盤~■

 

採石した石のままではただの石ころ当然、そのために養石として風合いを出していきます。

鑑賞用として育つとようやく水石として晴れ舞台に上げることができます。

しかし、石だけでは床の間に置いても雰囲気としてはいまひとつ冴えない、しっくりこないもの。

水石を飾るときは必ず水盤や台座に載せることでようやく一つの石として完成系となります。

 

■~台座を楽しむ~■

 

石の世界では石に着目しがちですが、水盤や台座も石の引き立て役として重要なアイテムとなります。

ただ裸石として扱うよりも、石に合った水盤を模索したり、専用の台座を自身で拵えることも楽しみの一つでもあります。

台座といっても種類も様々、たとえば陶磁器で造られた水盤、木材で造られた台座、中国では銅器で造られたものまで。

石に合ったものや自身の感性で表現を変えたりと、用途によって使い分けます。

 

■~石の個性~■

 

石には種類があるようにそれぞれの個体差(個性)があります、同じ菊花石でもきめ細かな紋様から目を引き付けるような大きな紋様。

時には石の雰囲気から季節毎に使い分けをする方もいます。

冬には台座を使った飾り付け、夏には水盤を使って涼しげなイメージを持たせる。

個性を活かしてどう楽しむか、水石の醍醐味でもあります。

 


 

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鑑賞石・水石「古谷石 残雪峡」

2019.12.14

 

お客様より買取致しました、鑑賞石・水石「古谷石 残雪峡」

 

本日は「古谷石」ついてご紹介いたします。

 

古谷石(ふるやいし)の主産地は、和歌山県の一部の山中で採石されていた水石

 

日本に産する代表的観賞石の一つ。

 

仕上げるまでに時間を要しますが、遠山形の鑑賞石の中では特に見応えの完成度になります。

 

 

 

 

 

 

 

■~浮出る紋様~■

 

水石や山石のように風景を連想させるような山々とした剣山を好む者もいれば、石肌に現れる紋様を愛でる者もいます。

紋様と言えば化学反応による放射線状の結晶が菊の花に見えることから命名されている「菊花石」が代表的と言えるでしょう。

菊花石は各地で採石できますが、その中でも特に産地として岐阜県にある根尾谷一帯で採石できる菊花石が名高いとされ、

他に比べ地色や花の色も千変万化すると言われる程、質の良い石が採石できます。

 

■~多彩な石たち~■

 

石の種類は様々あるように人の意向も様々、水石や山石などあるように色鮮やかな鉱石を愛でる者もいます。

佐渡赤玉石(さどあかだまいし)を筆頭に石英(せきえい)や石英に鉄が結びついた碧玉(へきぎょく)。

いわゆるジャスパーやメノウと言われている鉱石の一種。

 

■~磨き石~■

 

鑑賞石は主に好まれるのは、水石や菊花石などの紋様石ですが。

ジャスパーやメノウ石といった発色の良い石を磨くことで艶やかに光沢を出し、鑑賞する愛石家もいます。

佐渡赤玉石・瑪瑙石・石英など種類も豊富で石の世界をより広めるものとしていました。

 


 

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鑑賞石・水石「 古谷石 銘:石友斉百穂作」

2019.12.04

 

お客様より買取致しました鑑賞石・水石「 古谷石 銘:石友斉百穂作」

 

本日は「古谷石」ついてご紹介いたします。

 

古谷石(ふるやいし)の主産地は、和歌山県の一部の山中で採石されていた石

 

古谷石は、いわゆる土中石、掘り出して採取できる石とされ

 

採石してすぐは灰土が付着してるため、時間をかけて灰土を落とす作業があります

 

そうして長い年月を愛でた石が古谷石として、見応えのある水石となります。

 

 

 

 

 

 

 

■~名石の産地~■

 

水石といっても種類は豊富、日本は地質学的に見ても多様な石を産する地域と言われていることから偶然にも水石の文化に適した地域だったのかも知れません。

名石の産地としては特に北海道の石狩川上流の渓谷にある神居古潭(かむいこたん)で採石できる石は名石と知られ、非常に硬く、深みのある光沢が美しいと愛石家から定評があります。

 

■~三大産地~■

 

石には様々な形や種類がある中の一つである「滝石」、静岡にある安部川や富士川は急流のため石の変化が楽しめるとも言われています。

濃尾(のうび)平野に流れる「揖斐川」(いびがわ)に琵琶湖の水が注ぎこむ「瀬田川」、そして静岡にある加芝川。

これらは三大産地と知られ、愛石家は挙って採石に励んでいたとされます。

水石の中でも人気である瀬田川石、表面に梨の肌のような細かい斑点の出る梨地真黒(なしじまぐろ)や珪石(けいせき)と粘板岩(ねんばんがん)が縞状になることで形成される「虎石」が有名です。

 

■~古谷石~■

 

河原で採石される川石に対し、山で採掘する石を山石と言います。

紀伊半島中央の山中に産する古谷石は代表的な石になります、古くは江戸時代に紀州徳川藩の領地から採掘された古谷石は贈答品に用いられていたと書物に明記されていたほど古い歴史があります。

 


 

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鑑賞石・水石「菊花石」

2019.10.04

 

お客様より買取致しました、鑑賞石・水石「菊花石」

 

本日は「菊花石」ついてご紹介いたします。

 

菊花石(きっかせき)、鑑賞石の一種。

 

菊花石を評価するにあたり、求められる部分(部位)あります

 

1.文様 2.形 3.母岩 そして、それらの要素を合わせた全体のバランス

 

菊の文様の大きさもですが、色合いや浮出ている露出の加減など、主とするポイントは様々です。

 

しかし、それらはあくまでも自然石の状態での評価となり、中には「叩き仕上げ」といった方法で菊の花を立体的にみせる為に手を加える場合があります

 

今回ご紹介の品については叩き仕上げによる物になりますので、鑑賞石としての評価は低くなります

 

人の手が入っていない自然石とした状態でバランスの良い菊花石であれば高額買取になることもあります。

 

 

 

 

 

 

■~風土に色と表情~■

 

水石は色々な表情を見せてくれます、ゆるやかな大河では石が流れやすく丸みのある石が採れます。

ですが、それでは表情としては面白くない。

あえて険しい剣山や流れの悪い川に着目してみたりと自然界の環境に目を向けることがあります。

愛石家にとっては「風土」・「色」・「表情」といった要素が揃ってようやく鑑賞石・水石としての価値を見出します。

 

■~一日にしてならず~■

 

「名石は一日にしてならず」と言う言葉があります。

これは盆栽家の言葉でもあります、石と盆栽は「育て」石は「採る」ものとして似て似つかぬ物と思われていますが、

石も「養石」といった言葉があり、石を育てる意味合いがあります。

育てると言っても植物や動物のように水や餌を与え、大きくする訳ではなく、いくつもの石を庭に並べ雨風にさらし苔を付けたりと、風化させることでより古い石のような表情を付けていきます。

石の位置をずらしてみたり、水を与えて陽にあてるなど様々な方法で毎日を石を養石することが愛石家の一日の始まりでもあります。

 

■~水石はアート~■

 

一塊の石をアート、美術品とした見方ができる石は価値観、環境や感性でかわります。

一定の決まりや基準がないため、見る人によってはただの石ころにもなってしまいます。

眺める環境によっても石は表情を変えます、茶室に掛軸、台座を用意して水盤の上に石を置き、水を含ませてやるとさっきまで転がっていた、ただの石ころも一種のアートとして眺めることができてしまう不思議な世界です。

ある日、個展を開いた際にドイツからやってきたある男性は水石を眺めていると心が落ち着く、癒しを超えた存在とまで言っていた一説がある程です。

 


 

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片岡球子「めでたき富士」

2019.09.22

 

お客様より買取致しました片岡球子の作品「めでたき富士」。

 

本日は片岡球子の作品「めでたき富士」ついてご紹介いたします。

 

片岡球子の代表作である「富士」今まで見たことのないような表現、どこかモダンで芸術的見える作品は人を惹きつけるものがあります

 

片岡球子は、富士だけではなく裸婦画「ポーズ」の作品シリーズにも取り組み、常に探求心を持って創作に励んでいました

 

しかし、2008年 103歳を迎え、その生涯を遂げる事となりました

 

現在でも片岡球子の持っている独自の世界観で描かれた作品は高く評価されています。

 

 

 

 

 

■~落選の神様~■

 

片岡球子(かたやま たまこ)は神奈川県出身、1926年 専門学校卒業後は小学校教師に勤め、日々創作に励んでいたそうです。

画家を目指すということに両親から猛反発を受けていたことから後に勘当されてしまいます、ですがその後も創作は続け、入選と落選を繰り返すうちに「落選の神様」という異名までつけられてしまう時期もありました。しかし、その後1939年 第26回院展に「緑陰」が入選し院友に推挙されて以来は入選し続けその型破りな構成と大胆な色使いの独特な作品が世に徐々ではあるが受け入れられ始めていました、反対に「ゲテモノ」として批判する者もいました、それだけ世に認知され始めていた証拠だとも言えます。

 

■~小林古径~■

 

そんな球子は世間にゲテモノと言われている事に思い悩んでいたが、小林古径(こばやし こけい)に「今のあなたの絵はゲテモノに違いないが、ゲテモノと本物は紙一重の差だ… あなたの絵を絶対に変えてはいけない…」と励まされ、自身の作品への意気込みをさらに高めるものにしました。

 

■~富士山~■

 

球子は美しく描くことが全てではないと信じ、自身の信念に従った創作を続け、やがて従来の日本画の概念を揺るがすような力強い表現を確立。
後にそれが「富士山」シリーズであり特に高い評価を受ける事となりました。

 


 

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宮本理三郎「とかげ」

2019.09.21

 

お客様より買取致しました宮本理三郎の作品「とかげ」。

 

本日は宮本理三郎の作品「とかげ」ついてご紹介いたします。

 

宮本理三郎は小動物や静物の細密彫刻を得意としていた木彫家

 

特に小動物などは執拗に観察し続けて、その上で初めて製作に取り掛かる徹底ぶりだったと言われています

 

生命感だけではなく、特有の仕草、その一瞬の姿をきちんと捉えて立体彫刻にしていくその作品はどれも躍動感溢れる一級品

 

宮本理三郎の作る作品は元の材質すらも判別が難しい程の完成度のため、美術品としても評価の高い作家作品です。

 

 

 

 

 

 

 

■~佐藤玄々~■

 

宮本理三郎の師である佐藤玄々(さとう げんげん)※当時の号は佐藤朝山、20世紀最も日本で活躍した彫刻家。

佐藤玄々は上京、師である山崎朝雲に師事していましたが、朝雲主催による北村西望、朝倉文夫らが参加するコンペがきっかけで憤慨(ふんがい)し、師弟の関係を絶ったことで後に朝山である号は返上し、1948年に新たに玄々と号し、名乗りました。

玄々と号しまでの期間である1925年に弟子として迎え入れていた人物が宮本理三郎です。

 

■~アトリエ~■

 

宮本理三郎は茨城県にアトリエを設け、活動の拠点に。
1929年に第14回日本美術院展「赤蛙」が入選、1929~1943年まで少なくても14回の入選など、着実に実績を積み上げ、個展を主催すまでに実力をつけました。
大田区密乗院に不動明王、矜羯羅童子、制多迦童子、深川法乗院閻魔堂には閻魔大王を納めるなど貢献。

 

現在では親子であり、内弟子でもある宮本中人(みやもと なかひと)に代を引き継ぎ、
宮本家をアトリエとして現在も家族による作品製作をされています。

 


 

『宮本理三郎』の作品をお持ちの方は、ひるねこ堂へ査定を依頼してみてはいかがでしょうか。

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鑑賞石・水石 「菊花石 聖寿」

2019.09.20

 

お客様より買取致しました、鑑賞石・水石 「菊花石 聖寿」

 

本日は鑑賞石 「菊花石・聖寿」ついてご紹介いたします。

 

菊花石(きっかせき)、鑑賞石の一種。

 

石の中に菊の花のような文様が現れている様の石をいいます

 

鑑賞石の中では特に美しいと言われている分類に入り、コレクションしている方も多くいらっしゃいます

 

中には文様が薄いために自身で掘り起こしてしまう方もいますが、愛石家にとっては人の手が入ったものは好まない方もいます

 

自然石として十分見応えのある石は特に評価が高く、高価買取に繋がります。

 

 

 

 

 

 

■~名石の原石~■

 

名石と呼ばれる原石は元々は河原転がっていたような石とされます。

なんとなく目に止まった自然石が始まり、いつの間にか自身の足で理想の石を見つけ出す「探石」が愛好家の楽しみの一つとなりました。

いい表情の石を見つけては専門店に持ち込むといった方も多く、中にはハイキングがてらに探しに行く方も多々いらっしゃったようです。

盆栽と水石は、例えるなら車の両輪といわれるほどお互いになくてはならないものですが、「石」単独として価値を見出すきっかけとなった菊花石もその中の一つです。

 

■~風土・色と表情~■

 

鑑賞石は流れがゆるやかな大河では石が流れに挟まれず面白い変化がつきにくいとされています。

そのため、海山の間が狭く、川が急流となる日本の地形では水石を見つけるにうってつけの産地である。

採れる石の色や性質は土地によっておのずと決まっており。

京都は日本列島の中心にあり北山を源流とする加茂川流域は当時から名石の産地として名高い、「八瀬」、「貴船」、「鞍馬」など上げればきりがない程に産地として有名です。

一部の有名な水石は「大和群山」や「観世音菩薩」などこれらも加茂川石として認知されています。

水石は水をかけると表面がいつまでもしっとりとしている「水もちがいい」と評される水石が良いとされており、時間の経過とともに色の変化を楽しむのも日本人独自の鑑賞法です。

 

■~名石は一日にしてならず~■

 

鑑賞石・水石は採石してから台座を設けて完成とはならず、「養石(ようせき)」として長い年月をかけて石の表面に陽を当てたり、雨風にに当てたりと「時代」をつけることが重要とされています。

愛好家は採石した石が水石とした素質があるか風化を付けながら石を「育てる」といったことをします、風化を進めることで石肌に味わいが生まれ、「時代がつく」とされています。

盆栽と同じように「育てる」という意味では同じなのかも知れません。

 


 

『鑑賞石・水石』をお持ちの方は、ひるねこ堂へ査定を依頼してみてはいかがでしょうか。

ひるねこ堂では『鑑賞石・水石』を高価買取致しております。

『鑑賞石・水石』をお手持ちの方は是非ご相談下さい。

 

骨董品・美術品の高価買取、蔵整理・遺品整理なら「ひるねこ堂」にお任せ下さい。

 

鑑賞石・水石「遠山石 寒山」

2019.09.19

 

お客様より買取致しました、鑑賞石・水石「遠山石 寒山」

 

本日は「遠山石 寒山」ついてご紹介いたします。

 

遠山石(とおやまいし)、山形石を代表とする遠山石

 

山水景石において基本的な形状、遠い山容を連想させるもの

 

石の文様として表れている白い模様が積雪を連想される様から銘「寒山」として名付けられています。

 

 

 

 

 

 

 

■~遠山を愛でる~■

 

「遠山に始まり遠山に終わる」と言われる程、水石の中では特に愛好家が愛でた石の一種。

石に刻まれる「尾根」や「谷」、「稜線(りょうせん)」のを思わせるフォルム。

水石の基本系であるとされる「遠山石」。

水石は一個の石が表す自然の景観美を楽しむもの、遠山石とは文字通り遠く望む山容を思わせる石のことを指します。

種類も豊富で中国北方の険しい山々、江南の緑豊かな山々をイメージさせるものや初雪・残雪を思わせるような白い筋が刻まれたものなど様々で彫を加えたり色をつけたりしたものでない天然自然の石が好まれる。

 

■~三面の法則~■

 

日本人が想像する山の筆頭は、大多数が富士山を思い描くのではないでしょうか。

富士山のゆるやかに山裾が広がる雄大な姿は遠山石のひとつの理想形とされています。

その富士山の形こそが「三面の法則」の理想像であり、石の前後、左右、底。

前後の調和をしていなくてはならないとされ、理想論として遠山石に求められています。

しかし、完全な天然石では理想論に近づけるのは難しく、そのため水石の世界では「削るは可、加えるは不可」といわれており自然石に何かを付け足すのはご法度だが、石の座りを良くするために底面を少々削ることは許されています。

そういったひと手間を加えることでより理想形に近づけることができます、愛好家にとって喜びのひとつなのです。

 

■~石の姿を見出す~■

 

水石は、何かしらの点で自然界の風景・風物を連想させるものでなくてはならない。

形だけでなく、色や肌の質感・表情・紋様など何かしらのイメージを託せる見どころが必要な要素とされています。

水石という語は山水の景を表す石、「山水景石」に由来されます。

その代表的なものが「遠山石」ですが、他にも「滝石」や「鳥形石」、「岩潟石(いわがたいし)」など多数存在します。

「鳥形石」や「岩潟石」であれば、海や湖に浮かぶ島や、突き出た岩に見立てたもの、荒波に穿たれた洞門など景観連想できるものをいいます。

動物や人の姿に似た石は「姿石」といわれてます、「削るは可」と言われている水石ですが、姿石に限っては一切の手を加えることは許されていません。

なぜならばそのような場合は「彫刻」になってしまうからです。

それだけに「石」の世界は非常に奥深く、繊細で拘りの強い品物です。

 


 

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鑑賞石・水石「熊野古道古谷石」

2019.09.17

 

お客様より買取致しました、鑑賞石・水石「熊野古道古谷石」

 

本日は「熊野古道古谷石」についてご紹介いたします。

 

熊野古道は、熊野本宮大社の境内に続く参道でもあります

 

熊野本宮大社といえば世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」として登録された高野・熊野は境内地としても有名です

 

熊野古道では山海に面している場所でもあるため、様々な表現の石が採石できるそうです

 

その一部の石が巡り合わせにより、人の手によって愛でられ、大切にされていた水石です。

 

 

 

 

 

 

■~石とは~■

 

「石」は地球上どこにでも存在する「自然石」、日本では文化の一つとして深くかかわってきた「石」。

 

始まりは庭石や灯籠、踏み石など、古来日本人の住空間には石の存在が身近にありました。

「水石」は、石を近くし、敬虔(けいけん)なものと感じる日本人が伝えてきた日本特有の文化。

 

かつては中国から伝えられた「石を愛でる」心は、日本独自の文化として昇華。

当初は庭で鑑賞していたが、のちに室内へと移り、季節ごとのしつらいで客人をもてなす重要なアイテムとして確立したものとなりました。

 

水石は自然が生んだ造形は時に人の心を落ち着かせ、長い年月かけて独特のフォルムや色合いは見る者を魅了、幽玄の世界へと導かれると言われるほど奥深いものです。

 

■~石を愛でる~■

 

「石」の愛好家は東京にある明治神宮に多くの愛好家が集います。

そこで愛好家たちの自慢の石を披露する場として石を展示していました、そこには艶やかに磨き上げられた木の台や、陶磁器の水盤に鎮座した石の数々。

自然に造形されたものと思えぬ、なだらかな山や峰、海を望む断崖や洞門を連想するようなどれも目を引くものです。

 

年齢層は老若男女問わず熱心に覗き込む姿、時にはカメラに収める者、当時では水石はそれほど魅了のある一種の「アート」として美術的鑑賞価値のあるものとして認識されていました。

 

■~石を飾り見立てる~■

 

日本で石を飾って鑑賞するようになったのは、平安時代末期から鎌倉時代だと考えられています。

根拠としては「西行物語絵巻」などの絵図の一部に前庭の据えた台に松を付けた石が飾られている様子が描かれていました。

 

石を鑑賞する趣味は、中国・宋代の文人の間で流行し、盆栽同様、禅僧らの手によって日本へともたらされた文化とされます。

室町時代には石を飾る場所は庭や軒先から室内へと転じいきました。

石の姿形や色の美しさを愛で、見立てを楽しむ、それが鑑賞を目的とした「水石」として日本の文化として昇華しました。

 


 

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平安 象彦「京名所蒔絵 寶石箪笥」

2019.08.03

 

お客様より買取致しました「平安象彦」の作品「京名所蒔絵 寶石箪笥」。

 

本日は「平安象彦」の作品についてご紹介いたします。

 

宝石箪笥は名前の通り宝石やアクセサリーなど貴重品を保管するために用いられる専用箱

 

現在では物々しい容姿から需要としては失われてしまった物になります

 

象彦などの蒔絵師によって描かれた蒔絵は大変美しく、今では貴重な作品となっております。

 

 

 

 

 

 

 

■~由来~■

 

彦兵衛(象彦)は象牙の道具売として商人をしていました、1661年(寛文元年)象牙屋を開舗、漆器道具商としての道を歩み始めます。

三代目である彦兵衛が晩年「白象と普賢菩薩」を描いた蒔絵額が京域内で評判となり、人々はこの額を象牙屋の「象」と彦兵衛の「彦」の二文字をとり、「象彦の額」と呼ばれるようになり、平安京の「平安」に通り名である「象彦」を合わせて「平安 象彦」として自身でも名乗るようになり、確立したブランドを手にしました。

 

■~代々彦兵衛~■

 

四代目彦兵衛は仙洞御所の御用商人をつとめ、六代目は風流の道に通じ数々のお好み道具を制作することを始め。八代目は漆器の輸出にも力を入れ数多くの輸出に成功、漆器貿易の先駆者と呼ばれ、1925年および1936年のパリでの国際博覧会に出品、さらに認知度を高める。

積極的な漆器の輸出の功労に対し国から種々の表彰を受け、されには京都蒔絵美術学校を設立するなど功績を残されています。

 


 

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徳田八十吉「吉田屋写 双耳花入」

2019.06.30

 

お客様より買取致しました「徳田八十吉」の作品「吉田屋写 双耳花入」。

 

本日は「徳田八十吉」の作品についてご紹介いたします。

 

吉田屋写は、「吉田屋窯」の色釉に古九谷の青手を合わせた技法

 

吉田屋窯の絵の具は古九谷よりも一層落ち着いた渋さを持っております

 

源右衛門が清兵衛らの協力のもと素地と絵の具との調和を繰り替えし試した末に、見つけ出されたものと一説にあり、体現した形となった作品。

 

 

 

 

 

 

 

■~初代~■

 

徳田八十吉(とくだ やそきち) は、1873年 明治期より続く名門として知られる九谷焼きの陶芸家、代々受け継ぎ現在では四代目までその技術を継承。

初代の得意とした「吉田屋写し」、吉田屋窯の色釉に古九谷の青手を合わせた技法を用いり、青を主とした数種類の釉薬で表現した色鮮やかな陶磁器が特徴。

 

■~二代目~■

 

二代目 徳田八十吉は1923年に初代の養子となり師事、
1956年に二代目徳田八十吉を襲名、九谷焼の近代化を推進したとされる人物、後に八十吉の名を長男に譲り百々吉を名乗る。

 

■~三代目~■

 

そして、二代目の長男が襲名した1988年、三代目 徳田八十吉を名乗り、
1997年6月6日、重要無形文化財「彩釉磁器」の保持者として人間国宝に認定される。
釉薬で色彩を調整した鮮やかな群青色に強い個性に溢れたグラデーションを生み出して新たな境地を開拓したと言われているのが三代徳田八十吉である。

 


 

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小川長楽「淡々斎 書付・赤楽茶碗」

2019.04.17

 

お客様より買取致しました「小川長楽」の作品「淡々斎 書付・赤楽茶碗」

 

本日は「小川長楽」の作品についてご紹介いたします。

 

楽茶碗は楽焼(らくやき)と呼ばれる技法を用いられた茶碗

 

手とへらだけで成形する「手捏ね」(てづくね)と呼ばれる方法で成形した作品

 

手捏ねによるわずかな歪みと厚みのある形状が特徴です。

 

 

 

 

 

■~初代~■

小川長楽は1874年より始まる親子三代による家系、初代小川長楽は小川左右馬法眼源正幸の次男として生まれ。

11代樂吉左衛門に師事をして陶芸の道を歩む、後に12代樂吉左衛門の命により、青年でありながらも独立を果たす事となり小川家三代の陶芸家としての道が確立された瞬間でもあります。

 

■~二代目~■

 

初代小川長楽の長男である幸一に2代目小川長楽を引き継ぐ、

1940年に、建仁寺派5世竹田穎川より「景雲」の号を授かっており、1955年には白楽、焼貫七彩釉の焼成に成功するなど小川の技術をより確実なものにしました。

 

■~三代目~■

 

1947年に二代長楽の長男として京都岡崎に生まれる。

京都府立鴨沂高等学校卒業後は二代小川長楽に師事、陶芸家としての道を歩みだし始めます。

1992年に醍醐寺座主より「松風軒」の号を賜る。

それ以降、二代長楽の長男である小川幸雄は三代小川長楽を襲名。

 


 

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河井寛次郎「三色扁壷」

2019.03.10

 

お客様より買取致しました「河井寛次郎」の作品「三色扁壷」

 

本日は「河井寛次郎」の作品についてご紹介いたします。

 

素朴で重厚、全長にして40㎝超の迫力の大きな三つ穴の花瓶。

 

河井寛次郎独自の技法、三色打ち釉がどこかモダンな雰囲気を醸し出しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■~民芸運動~■

 

河井寛次郎は、島根県安来市(安来町)の大工の家に生まれる。

松江中学(現島根県立松江北高等学校)を経て、1910年、東京高等工業学校(現東京工業大学)窯業科へ入学。

後に様々な経験をもとに、新しい日用品を制作し普及しようと1926年(大正15)に「民芸運動」柳宗悦・浜田庄司らによって提唱された生活文化運動を始める。
その中には富本憲吉、黒田辰秋、バーナード・リーチらとも合流、共に活動していとされます。
1929年に長い沈黙を破って開いた高島屋の個展をきっかけに、古典から日用の器へと路線を変更した。
寛次郎は各地を訪れ、手仕事の制作現場や、日本や朝鮮やイギリスの器から受けた影響をもとに、実用的で簡素な造形に釉薬の技術を生かし、美しい発色の器を次々と生み出して再び注目を浴びることとなる。
この時期以降、寛次郎は作家としての銘を作品に入れないようになる。

 

■~自由な作風に~■

 

第二次世界大戦後、世界の民族芸術に関心を深めた寛次朗は木彫の制作も開始するなど造形の美学を学び、陶の造形も日用の器から簡素ながら奔放な造形へと変化を遂げる。
材料の入手が困難であった戦時中より詩、詞の創作を始め、1947年には寛次郎の詞「火の誓い」を棟方志功の板画で制作するなど多彩な才能を更に開花させる。
壷や皿などの陶芸における作品は、荒々しい素地で用途にとらわれない自在な形状に変化、アクション・ペインティングのように釉薬を刷毛で打ちつけるような作品が後に河合寛 治郎の代表作となる、その一つが「三色扁壷」である。

 

■~無位無冠~■

 

なぜこれほどの実績を残されている人物が「文化勲章」や「重要無形文化財」など功績が残されていないのは、河井寛次郎自身が辞退、芸術院会員への推挙もあったが、同様に辞退しています。
川勝堅一の計らいで「白地草花絵扁壷」が、ミラノ・トリエンナーレ国際工芸展グランプリを受賞するも、無位無冠の陶芸家として晩年まで創作活動を行い1966年に76歳で没しました。

 


 

『河井寛次郎』の作品をお持ちの方は、ひるねこ堂へ査定を依頼してみてはいかがでしょうか。

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