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菊花石「聖寿」

2019.09.20

 

お客様より買取致しました、鑑賞石・水石 「菊花石 聖寿」

 

本日は鑑賞石 「菊花石・聖寿」ついてご紹介いたします。

 

菊花石(きっかせき)、鑑賞石の一種。

 

石の中に菊の花のような文様が現れている様の石をいいます

 

鑑賞石の中では特に美しいと言われている分類に入り、コレクションしている方も多くいらっしゃいます

 

中には文様が薄いために自身で掘り起こしてしまう方もいますが、愛石家にとっては人の手が入ったものは好まない方もいます

 

自然石として十分見応えのある石は特に評価が高く、高価買取に繋がります。

 

 

 

 

 

 

■~名石の原石~■

 

名石と呼ばれる原石は元々は河原転がっていたような石とされます。

なんとなく目に止まった自然石が始まり、いつの間にか自身の足で理想の石を見つけ出す「探石」が愛好家の楽しみの一つとなりました。

いい表情の石を見つけては専門店に持ち込むといった方も多く、中にはハイキングがてらに探しに行く方も多々いらっしゃったようです。

盆栽と水石は、例えるなら車の両輪といわれるほどお互いになくてはならないものですが、「石」単独として価値を見出すきっかけとなった菊花石もその中の一つです。

 

■~風土・色と表情~■

 

鑑賞石は流れがゆるやかな大河では石が流れに挟まれず面白い変化がつきにくいとされています。

そのため、海山の間が狭く、川が急流となる日本の地形では水石を見つけるにうってつけの産地である。

採れる石の色や性質は土地によっておのずと決まっており。

京都は日本列島の中心にあり北山を源流とする加茂川流域は当時から名石の産地として名高い、「八瀬」、「貴船」、「鞍馬」など上げればきりがない程に産地として有名です。

一部の有名な水石は「大和群山」や「観世音菩薩」などこれらも加茂川石として認知されています。

水石は水をかけると表面がいつまでもしっとりとしている「水もちがいい」と評される水石が良いとされており、時間の経過とともに色の変化を楽しむのも日本人独自の鑑賞法です。

 

■~名石は一日にしてならず~■

 

鑑賞石・水石は採石してから台座を設けて完成とはならず、「養石(ようせき)」として長い年月をかけて石の表面に陽を当てたり、雨風にに当てたりと「時代」をつけることが重要とされています。

愛好家は採石した石が水石とした素質があるか風化を付けながら石を「育てる」といったことをします、風化を進めることで石肌に味わいが生まれ、「時代がつく」とされています。

盆栽と同じように「育てる」という意味では同じなのかも知れません。

 


 

『菊花石』をお持ちの方は、ひるねこ堂へ是非ご相談下さい。

ひるねこ堂では『菊花石』を高価買取致しております。

 

骨董品・美術品の高価買取、蔵整理・遺品整理なら「ひるねこ堂」にお任せ下さい。

 

鑑賞石・水石「遠山石 寒山」

2019.09.19

 

お客様より買取致しました、鑑賞石・水石「遠山石 寒山」

 

本日は「遠山石 寒山」ついてご紹介いたします。

 

遠山石(とおやまいし)、山形石を代表とする遠山石

 

山水景石において基本的な形状、遠い山容を連想させるもの

 

石の文様として表れている白い模様が積雪を連想される様から銘「寒山」として名付けられています。

 

 

 

 

 

 

 

■~遠山を愛でる~■

 

「遠山に始まり遠山に終わる」と言われる程、水石の中では特に愛好家が愛でた石の一種。

石に刻まれる「尾根」や「谷」、「稜線(りょうせん)」のを思わせるフォルム。

水石の基本系であるとされる「遠山石」。

水石は一個の石が表す自然の景観美を楽しむもの、遠山石とは文字通り遠く望む山容を思わせる石のことを指します。

種類も豊富で中国北方の険しい山々、江南の緑豊かな山々をイメージさせるものや初雪・残雪を思わせるような白い筋が刻まれたものなど様々で彫を加えたり色をつけたりしたものでない天然自然の石が好まれる。

 

■~三面の法則~■

 

日本人が想像する山の筆頭は、大多数が富士山を思い描くのではないでしょうか。

富士山のゆるやかに山裾が広がる雄大な姿は遠山石のひとつの理想形とされています。

その富士山の形こそが「三面の法則」の理想像であり、石の前後、左右、底。

前後の調和をしていなくてはならないとされ、理想論として遠山石に求められています。

しかし、完全な天然石では理想論に近づけるのは難しく、そのため水石の世界では「削るは可、加えるは不可」といわれており自然石に何かを付け足すのはご法度だが、石の座りを良くするために底面を少々削ることは許されています。

そういったひと手間を加えることでより理想形に近づけることができます、愛好家にとって喜びのひとつなのです。

 

■~石の姿を見出す~■

 

水石は、何かしらの点で自然界の風景・風物を連想させるものでなくてはならない。

形だけでなく、色や肌の質感・表情・紋様など何かしらのイメージを託せる見どころが必要な要素とされています。

水石という語は山水の景を表す石、「山水景石」に由来されます。

その代表的なものが「遠山石」ですが、他にも「滝石」や「鳥形石」、「岩潟石(いわがたいし)」など多数存在します。

「鳥形石」や「岩潟石」であれば、海や湖に浮かぶ島や、突き出た岩に見立てたもの、荒波に穿たれた洞門など景観連想できるものをいいます。

動物や人の姿に似た石は「姿石」といわれてます、「削るは可」と言われている水石ですが、姿石に限っては一切の手を加えることは許されていません。

なぜならばそのような場合は「彫刻」になってしまうからです。

それだけに「石」の世界は非常に奥深く、繊細で拘りの強い品物です。

 


 

『鑑賞石・水石』をお持ちの方は、ひるねこ堂へ是非ご相談下さい。

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古谷石「熊野古道」

2019.09.17

 

お客様より買取致しました、鑑賞石・水石「熊野古道古谷石」

 

本日は「熊野古道古谷石」についてご紹介いたします。

 

熊野古道は、熊野本宮大社の境内に続く参道でもあります

 

熊野本宮大社といえば世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」として登録された高野・熊野は境内地としても有名です

 

熊野古道では山海に面している場所でもあるため、様々な表現の石が採石できるそうです

 

その一部の石が巡り合わせにより、人の手によって愛でられ、大切にされていた水石です。

 

 

 

 

 

 

■~石とは~■

 

「石」は地球上どこにでも存在する「自然石」、日本では文化の一つとして深くかかわってきた「石」。

 

始まりは庭石や灯籠、踏み石など、古来日本人の住空間には石の存在が身近にありました。

「水石」は、石を近くし、敬虔(けいけん)なものと感じる日本人が伝えてきた日本特有の文化。

 

かつては中国から伝えられた「石を愛でる」心は、日本独自の文化として昇華。

当初は庭で鑑賞していたが、のちに室内へと移り、季節ごとのしつらいで客人をもてなす重要なアイテムとして確立したものとなりました。

 

水石は自然が生んだ造形は時に人の心を落ち着かせ、長い年月かけて独特のフォルムや色合いは見る者を魅了、幽玄の世界へと導かれると言われるほど奥深いものです。

 

■~石を愛でる~■

 

「石」の愛好家は東京にある明治神宮に多くの愛好家が集います。

そこで愛好家たちの自慢の石を披露する場として石を展示していました、そこには艶やかに磨き上げられた木の台や、陶磁器の水盤に鎮座した石の数々。

自然に造形されたものと思えぬ、なだらかな山や峰、海を望む断崖や洞門を連想するようなどれも目を引くものです。

 

年齢層は老若男女問わず熱心に覗き込む姿、時にはカメラに収める者、当時では水石はそれほど魅了のある一種の「アート」として美術的鑑賞価値のあるものとして認識されていました。

 

■~石を飾り見立てる~■

 

日本で石を飾って鑑賞するようになったのは、平安時代末期から鎌倉時代だと考えられています。

根拠としては「西行物語絵巻」などの絵図の一部に前庭の据えた台に松を付けた石が飾られている様子が描かれていました。

 

石を鑑賞する趣味は、中国・宋代の文人の間で流行し、盆栽同様、禅僧らの手によって日本へともたらされた文化とされます。

室町時代には石を飾る場所は庭や軒先から室内へと転じいきました。

石の姿形や色の美しさを愛で、見立てを楽しむ、それが鑑賞を目的とした「水石」として日本の文化として昇華しました。

 


 

『古谷石』をお持ちの方は、ひるねこ堂へ是非ご相談下さい。

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平安 象彦「京名所蒔絵 寶石箪笥」

2019.08.03

 

お客様より買取致しました「平安象彦」の作品「京名所蒔絵 寶石箪笥」。

 

本日は「平安象彦」の作品についてご紹介いたします。

 

宝石箪笥は名前の通り宝石やアクセサリーなど貴重品を保管するために用いられる専用箱

 

現在では物々しい容姿から需要としては失われてしまった物になります

 

象彦などの蒔絵師によって描かれた蒔絵は大変美しく、今では貴重な作品となっております。

 

 

 

 

 

 

 

■~由来~■

 

彦兵衛(象彦)は象牙の道具売として商人をしていました、1661年(寛文元年)象牙屋を開舗、漆器道具商としての道を歩み始めます。

三代目である彦兵衛が晩年「白象と普賢菩薩」を描いた蒔絵額が京域内で評判となり、人々はこの額を象牙屋の「象」と彦兵衛の「彦」の二文字をとり、「象彦の額」と呼ばれるようになり、平安京の「平安」に通り名である「象彦」を合わせて「平安 象彦」として自身でも名乗るようになり、確立したブランドを手にしました。

 

■~代々彦兵衛~■

 

四代目彦兵衛は仙洞御所の御用商人をつとめ、六代目は風流の道に通じ数々のお好み道具を制作することを始め。八代目は漆器の輸出にも力を入れ数多くの輸出に成功、漆器貿易の先駆者と呼ばれ、1925年および1936年のパリでの国際博覧会に出品、さらに認知度を高める。

積極的な漆器の輸出の功労に対し国から種々の表彰を受け、されには京都蒔絵美術学校を設立するなど功績を残されています。

 


 

『象彦』の作品をお持ちの方は、ひるねこ堂へ是非ご相談下さい。

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徳田八十吉「吉田屋写 双耳花入」

2019.06.30

 

お客様より買取致しました「徳田八十吉」の作品「吉田屋写 双耳花入」。

 

本日は「徳田八十吉」の作品についてご紹介いたします。

 

吉田屋写は、「吉田屋窯」の色釉に古九谷の青手を合わせた技法

 

吉田屋窯の絵の具は古九谷よりも一層落ち着いた渋さを持っております

 

源右衛門が清兵衛らの協力のもと素地と絵の具との調和を繰り替えし試した末に、見つけ出されたものと一説にあり、体現した形となった作品。

 

 

 

 

 

 

 

■~初代~■

 

徳田八十吉(とくだ やそきち) は、1873年 明治期より続く名門として知られる九谷焼きの陶芸家、代々受け継ぎ現在では四代目までその技術を継承。

初代の得意とした「吉田屋写し」、吉田屋窯の色釉に古九谷の青手を合わせた技法を用いり、青を主とした数種類の釉薬で表現した色鮮やかな陶磁器が特徴。

 

■~二代目~■

 

二代目 徳田八十吉は1923年に初代の養子となり師事、
1956年に二代目徳田八十吉を襲名、九谷焼の近代化を推進したとされる人物、後に八十吉の名を長男に譲り百々吉を名乗る。

 

■~三代目~■

 

そして、二代目の長男が襲名した1988年、三代目 徳田八十吉を名乗り、
1997年6月6日、重要無形文化財「彩釉磁器」の保持者として人間国宝に認定される。
釉薬で色彩を調整した鮮やかな群青色に強い個性に溢れたグラデーションを生み出して新たな境地を開拓したと言われているのが三代徳田八十吉である。

 


 

『徳田八十吉』の作品をお持ちの方は、ひるねこ堂へ是非ご相談下さい。

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小川長楽「淡々斎 書付・赤楽茶碗」

2019.04.17

 

お客様より買取致しました「小川長楽」の作品「淡々斎 書付・赤楽茶碗」

 

本日は「小川長楽」の作品についてご紹介いたします。

 

楽茶碗は楽焼(らくやき)と呼ばれる技法を用いられた茶碗

 

手とへらだけで成形する「手捏ね」(てづくね)と呼ばれる方法で成形した作品

 

手捏ねによるわずかな歪みと厚みのある形状が特徴です。

 

 

 

 

 

■~初代~■

小川長楽は1874年より始まる親子三代による家系、初代小川長楽は小川左右馬法眼源正幸の次男として生まれ。

11代樂吉左衛門に師事をして陶芸の道を歩む、後に12代樂吉左衛門の命により、青年でありながらも独立を果たす事となり小川家三代の陶芸家としての道が確立された瞬間でもあります。

 

■~二代目~■

 

初代小川長楽の長男である幸一に2代目小川長楽を引き継ぐ、

1940年に、建仁寺派5世竹田穎川より「景雲」の号を授かっており、1955年には白楽、焼貫七彩釉の焼成に成功するなど小川の技術をより確実なものにしました。

 

■~三代目~■

 

1947年に二代長楽の長男として京都岡崎に生まれる。

京都府立鴨沂高等学校卒業後は二代小川長楽に師事、陶芸家としての道を歩みだし始めます。

1992年に醍醐寺座主より「松風軒」の号を賜る。

それ以降、二代長楽の長男である小川幸雄は三代小川長楽を襲名。

 


 

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河井寛次郎「三色扁壷」

2019.03.10

 

お客様より買取致しました「河井寛次郎」の作品「三色扁壷」

 

本日は「河井寛次郎」の作品についてご紹介いたします。

 

素朴で重厚、全長にして40㎝超の迫力の大きな三つ穴の花瓶。

 

河井寛次郎独自の技法、三色打ち釉がどこかモダンな雰囲気を醸し出しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■~民芸運動~■

 

河井寛次郎は、島根県安来市(安来町)の大工の家に生まれる。

松江中学(現島根県立松江北高等学校)を経て、1910年、東京高等工業学校(現東京工業大学)窯業科へ入学。

後に様々な経験をもとに、新しい日用品を制作し普及しようと1926年(大正15)に「民芸運動」柳宗悦・浜田庄司らによって提唱された生活文化運動を始める。
その中には富本憲吉、黒田辰秋、バーナード・リーチらとも合流、共に活動していとされます。
1929年に長い沈黙を破って開いた高島屋の個展をきっかけに、古典から日用の器へと路線を変更した。
寛次郎は各地を訪れ、手仕事の制作現場や、日本や朝鮮やイギリスの器から受けた影響をもとに、実用的で簡素な造形に釉薬の技術を生かし、美しい発色の器を次々と生み出して再び注目を浴びることとなる。
この時期以降、寛次郎は作家としての銘を作品に入れないようになる。

 

■~自由な作風に~■

 

第二次世界大戦後、世界の民族芸術に関心を深めた寛次朗は木彫の制作も開始するなど造形の美学を学び、陶の造形も日用の器から簡素ながら奔放な造形へと変化を遂げる。
材料の入手が困難であった戦時中より詩、詞の創作を始め、1947年には寛次郎の詞「火の誓い」を棟方志功の板画で制作するなど多彩な才能を更に開花させる。
壷や皿などの陶芸における作品は、荒々しい素地で用途にとらわれない自在な形状に変化、アクション・ペインティングのように釉薬を刷毛で打ちつけるような作品が後に河合寛 治郎の代表作となる、その一つが「三色扁壷」である。

 

■~無位無冠~■

 

なぜこれほどの実績を残されている人物が「文化勲章」や「重要無形文化財」など功績が残されていないのは、河井寛次郎自身が辞退、芸術院会員への推挙もあったが、同様に辞退しています。
川勝堅一の計らいで「白地草花絵扁壷」が、ミラノ・トリエンナーレ国際工芸展グランプリを受賞するも、無位無冠の陶芸家として晩年まで創作活動を行い1966年に76歳で没しました。

 


 

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