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河井寛次郎「三色扁壷」

2019.03.10

 

お客様より買取致しました「河井寛次郎」の作品「三色扁壷」

 

本日は「河井寛次郎」の作品についてご紹介いたします。

 

素朴で重厚、全長にして40㎝超の迫力の大きな三つ穴の花瓶。

 

河井寛次郎独自の技法、三色打ち釉がどこかモダンな雰囲気を醸し出しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■~民芸運動~■

 

河井寛次郎は、島根県安来市(安来町)の大工の家に生まれる。

松江中学(現島根県立松江北高等学校)を経て、1910年、東京高等工業学校(現東京工業大学)窯業科へ入学。

後に様々な経験をもとに、新しい日用品を制作し普及しようと1926年(大正15)に「民芸運動」柳宗悦・浜田庄司らによって提唱された生活文化運動を始める。
その中には富本憲吉、黒田辰秋、バーナード・リーチらとも合流、共に活動していとされます。
1929年に長い沈黙を破って開いた高島屋の個展をきっかけに、古典から日用の器へと路線を変更した。
寛次郎は各地を訪れ、手仕事の制作現場や、日本や朝鮮やイギリスの器から受けた影響をもとに、実用的で簡素な造形に釉薬の技術を生かし、美しい発色の器を次々と生み出して再び注目を浴びることとなる。
この時期以降、寛次郎は作家としての銘を作品に入れないようになる。

 

■~自由な作風に~■

 

第二次世界大戦後、世界の民族芸術に関心を深めた寛次朗は木彫の制作も開始するなど造形の美学を学び、陶の造形も日用の器から簡素ながら奔放な造形へと変化を遂げる。
材料の入手が困難であった戦時中より詩、詞の創作を始め、1947年には寛次郎の詞「火の誓い」を棟方志功の板画で制作するなど多彩な才能を更に開花させる。
壷や皿などの陶芸における作品は、荒々しい素地で用途にとらわれない自在な形状に変化、アクション・ペインティングのように釉薬を刷毛で打ちつけるような作品が後に河合寛 治郎の代表作となる、その一つが「三色扁壷」である。

 

■~無位無冠~■

 

なぜこれほどの実績を残されている人物が「文化勲章」や「重要無形文化財」など功績が残されていないのは、河井寛次郎自身が辞退、芸術院会員への推挙もあったが、同様に辞退しています。
川勝堅一の計らいで「白地草花絵扁壷」が、ミラノ・トリエンナーレ国際工芸展グランプリを受賞するも、無位無冠の陶芸家として晩年まで創作活動を行い1966年に76歳で没しました。

 


 

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