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高価買取作家

中村宗哲

1965年 京都市にて生まれる 京都市銅駝美術工芸高等学校漆芸科卒業 京都市伝統産業技術研修漆器コース・デザインコース修了
2006年 家元出仕 十三代襲名
2011年 襲名記念展を高島屋にて開催
2014年 米子・岡山高島屋にて襲名記念展開催

 

千家十職とは、茶道三千家の御家元のお考えを受けて茶道具という形にする、十軒の職家のこと。

中村家は千家の塗師として約400年にわたり代々塗物茶器の制作に携わりました。

 

一三代中村宗哲は、十二代中村宗哲を母に、陶芸家の三代諏訪蘇山を父に持ち、

伝統的な京都の文化に慣れ親しんだ環境で過ごしてこられました。

 

初代の中村宗哲は、1617年に生まれており、藤村庸軒、

灰屋紹益などと親交を深めており、その後の中村の活躍のきっかけとなりました。
三代目は俳人としても活躍をしていたようで、与謝蕪村、几菫、堀内仙鶴らと親交を結び、

洗練された作品作りに手間をかけていたと言われています。

 

代表作として覚々斎好・ブリブリ香合、少庵好・彭祖棗など、好みものが多かったようです。
六代目からは、御所御用達と通常の塗師職などを並行しており、少しずつ家に変革をもたらし始めました。
形物塗師職人として七代目は茶道具の塗師で活躍し、名取川硯箱・夕顔台子皆具などの名作を手掛けました。
八代目は御所御造営や和宮御降嫁花嫁道具、将軍御上洛道具なども司りながら、展覧会にも出品し、

1876年にフィラデルフィアで開催された米国百年祭大博覧会で銅賞を獲得する名誉を手に入れているのです。
九代目は、茶道衰退期の中、京都美術工芸学校に勤務し、家業の維持に苦労した世代でした。

事実上、ここで廃業となっていますが、九代婦人が十代目を襲名。新たに家督を襲名します。
その後、新たな中村宗哲の歴史が始まることとなり、数多くの功績を残し、現在に至ります。

十二代目も女性として初めて正式に千家十職当主として認められた人物となり、女性職人の活躍が期待されています。

 

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