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高価買取作家

坂高麗左衛門

(初代) 坂高麗左衛門(李敬) 1568年 - 1643年

(二代) 坂助八   (忠李) 1615年 -  1668年

(三代) 坂新兵衛  (忠順) 1648年 - 1729年

(四代) 坂新兵衛  (忠方) 1683年 - 1748年

(五代) 坂助八   (忠達) 1722年 - 1769年

(六代) 坂新兵衛  (忠清) 1739年 - 1803年

(七代) 坂助八   (忠之) 1774年 - 1824年

(八代) 坂新兵衛  (忠陶) 1796年 - 1877年 (号:翫土斎・松翁)

(九代) 坂高麗左衛門(道輔) 1849年 - 1921年 (号:韓峯・韓岳)

(十代 )坂高麗左衛門(秀輔) 1890年 - 1958年 (号:韓峯)

1890年 山口県萩市「九代:坂高麗左衛門」の次男として生れる

1909年 山口県立萩中学校を中退

    父に師事し作陶を学ぶ

1921年 「十代:坂高麗左衛門」を襲名

1943年 工芸技術保存資格者に認定

1958年 没

 

(十一代) 坂高麗左衛門(信夫)(号:韓峯)

1912年 - 1981年

1912年 山口県の林利作の三男として生まれる

1941年 帝国美術学校を卒業

1948年 「十代:坂高麗左衛門」の次女と結婚

    義父の「十代:坂高麗左衛門」に師事し作陶の道に進む

1958年 「十一代:坂高麗左衛門」を襲名

1975年 山口県指定無形文化財に認定

1981年 68歳 没

 

(十二代)坂高麗左衛門(達雄)(号:熊峰)

1949年 -

1949年 東京新宿に生れる

1976年 東京芸術大学絵画科日本画専攻卒業

1978年 東京芸術大学大学院絵画科研究室修了

1982年 「十一代坂高麗左衛門」の長女と結婚

1984年 山口県萩にて作陶を始める

1988年 「十二代:坂高麗左衛門」襲名

1994年 日本工芸会正会員

2004年 54歳 没

 

(十三代)坂高麗左衛門(純子)

1952年 - 2014年

1952年 「十一代:坂高麗左衛門」の四女として生まれた

2011年 「十三代:坂高麗左衛門」を襲名

2014年 逝去

 

400年の伝統を受け継ぐ、山口県萩市の萩焼の窯元、坂高麗左衛門です。

 

 坂高麗左衛門の歴史は古いのですが、12代坂高麗左衛門までその名を守り続けてきました。しかし、2004年に転落事故による脳挫傷で急死。これ以降、後継者も現れず、代々継がれてきた坂高麗左衛門の伝統に終止符が打たれたかと思われました。しかし、11代の四女が13代の坂高麗左衛門として復活。女性として初めての坂高麗左衛門となりました。その後も活躍を続けており、2014年に15代目がこの名を継ぐこととなりました。

 

 12代の坂高麗左衛門は、1949年に東京都に生まれました。本名は達雄です。東京芸術大学大学院日本画専攻を修了しています。

 1982年に11代坂高麗左衛門の長女と結婚したことで、萩焼宗家に入ることになりました。

京都市工業試験場での研修を受けた後、山口県萩で作陶活動を開始しました。12代坂高麗左衛門を襲名したのは、1988年です。

 12代は、大学で専攻した日本画を基に、萩焼に上絵付けを施し、独自の表現を行いました。

ところが、2004年に転落事故で脳挫傷のため突然死去し、7年後に11代の四女が13代坂高麗左衛門を襲名することになりました。

 

 萩焼の伝統は、すでに400年以上の歴史を誇ります。豊臣秀吉の時代、毛利輝元が朝鮮の兄弟を伴って帰国したことから始まったのが、萩焼のルーツです。

毛利氏が萩に城を移し、萩城下松本村に開窯、二代藩主綱広公より、「高麗左衛門」の名を賜り、その後、坂高麗左衛門と名乗るようになったものです。

 現在の坂高麗左衛門窯も、東萩・松本の観光名所として知られています。

 

ひるねこ堂では「坂高麗左衛門」の作品を高価買取しております。

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