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高価買取作家

福沢一郎

1898年 群馬県富岡市で生まれる
1915年 第二高等学校英法科
1918年 東京帝国大学文学部に入学する 朝倉文夫に師事
1922年 第4回帝展彫刻作品「酔漢」初入選
1924年 渡仏 サロン・ドートンヌ「ブルターニュ風景」入選
1929年 シュール・レアリスムの作品を制作する
1931年 帰国
1956年 芸術選奨文部大臣賞を受賞する
1962年 第5回現代日本美術展にて「黒人霊歌」が国立近代美術館賞を受賞する
1960年 多摩美術大学・女子美術大学教授をつとめる
1978年 文化功労者
1991年 文化勲章を受章する
1992年 94歳で死去

 

洋画家・福沢一郎は、一貫して主題(画題)を如何に表現するかということを追究し続け、

歴史や神話などの根底にある人間のたくましさや愚かさをドラマティックに表現する作風を確立しました。

 

今や洋画壇の最高峰に君臨する大家になった福沢一郎ですが、始めは東京帝国大学文学部に入学しています。

ただ、大学の講義に興味を持てず、彫刻家を目指しますが、その彫刻家も形にはならず、後に遊学した先のパリで木内克、

森口多里らと親交する一方、エコール・ド・パリの空気に触れるなかで、次第に絵画への関心を強めていきます。

高畠達四郎、中山巍と同じアトリエ部落(ロンヌ街32番地)に住み、以後6年間を過します。

この間、はじめはシャガールの作風にひかれましたが、1929年頃から、デ・キリコ、マックス・エルンストの作品に強い刺激を受け、

シュール・レアリスムのコラージュの手法を用いた作品を制作し始めました。

1931年に独立美術協会展にフランスより出品したこの作品をきっかけに、

日本のシュルレアリスムが始まったとさえ言われる重要な作品となっているのです。

この作品ですが、エルンスト手法を応用し挿絵などをッもチーフに様々な対象物を組み合わせて描かれているものです。

日本におけるシュルレアリスムの父となる福沢一郎ですが、

その研究をさらに推し進めるために本郷にある自宅で「福澤絵画研究所」を開きます。

この研究所では、シュルレアリスムに興味を抱く当時の若い学生などがこぞって押し寄せ、

講義とともに勉強をしていた経緯があります。
1941年に共産党とシュルレアリスムの関係を疑わた福沢一郎は逮捕されてしまいます。

同年釈放されましたが、この背景も影響し研究所も5年程で閉鎖しています。

しかし、日本の美術界に大きな貢献を残している福沢一郎の作品には未だ多くの人々の称讃を得ています。

 

そんな福沢一郎の代表作である「他人の恋」は非常に評価が高い作品です。

雑誌や画集の図版などを切り貼りし、このイメージを油彩で表現した作品です。

まさにアートを感じる、難解な作品とも取れますが、

一見関連性の無いものがまとまることで、ストーリーが見えて来るバランスの取れた作品です。

見るものが想像して物語を作って行くような作品であり、見る物も考えさせる特異でありユニークな作品でもあるのです。

福沢一郎は研究所が廃止になった後も、多摩美術大学や女子美術大学などで教鞭を振るいました。

自らの作品を制作するだけでなく、教育という方面からも美術界に貢献しました。

 

大正末期から平成へと至る画業において、彼はさまざまに主題と作風を変えながら制作に取り組みました。

彼の作品には、同時代の美術、社会、そして人間のすがたが見え隠れします。

それは、彼が生涯抱き続けたドライな批判精神により生み出されたものです。

また、彼の量感あふれる人体表現や独特な色彩感覚は、日本の洋画史において他に類を見ない特長といえます。

 

ひるねこ堂では福沢一郎の作品を高価買取しております。
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