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高価買取作家

斎藤真一

1922年 岡山県倉敷市児島味野で生まれる

1942年 東京美術学校師範科に入学する

1948年 東京美術学校を卒業する

    静岡市立第一中学校に就任する

    第4回日展にて「鶏小屋」が初入選を果たす

1952年 光風会第38回展にて「閑窓」が入選する

1957年 光風会第43回展にて「立春の道」がプールヴ賞を受賞する

1958年 パリ留学

1960年 帰国

1971年 第14回安井賞「星になった瞽女」佳作賞を受賞する

1994年 72歳で死去

 

斎藤真一は、盲目の女旅芸人を描いた瞽女シリーズ等で知られる洋画家です。

 

幼少期は浄瑠璃や浪曲などに親しみ、芸術的感性を磨いていました。 中学に在学中に地元の大原美術館を見て画業に志します。独学で油絵を描くうち、岸田劉生の『美の本體』を読んで心酔。岡山師範学校二部を卒業後、東京美術学校師範科に入学し、美術講師として働き始めヨーロッパ各地へ放浪の度を始めます。

 

斎藤真一といえば有名なのが北国の三味線を奏で歌うごぜの姿を描いたエッセイです。絵画だけでなく、文筆活動も積極的に行っていた斉藤真一は常に自分の芸術を信じ、貫き通した画家だったのです。

 

そんな斎藤三郎の作品の中でもとりわけ美しく、評価の高い作品が1974年に描かれている「冬の月」です。豪雪で積もった雪が白銀の世界になる日本の北を描いたこの作品ですが、月夜が優しく照らすその独特な世界観は見るものの心を落ち着かせます。

まさに静寂という言葉がぴったりな空気感が繊細ながら淡くどこがか幻想的なタッチで描かれており、夜中であっても恐怖感は一切なく、むしろ優しく温和な気持ちにすらさせてくれる素敵な一枚です。

遠くの集落を目指し歩く人達は蓑を被り、まだ見ぬ新天地に向かい清々とした気持ちで歩みを進めています。この絵から、斎藤真一という人間の温和さや慈愛に満ちた精神が手に取るように分かり、彼の人生の縮図といっても過言ではない壮大な作品なのです。

 

独特の目線と感覚を持ち続けることのできた斎藤真一の創作の源は、幾度となく赴いた欧米への絵画旅行も関係しているでしょう。スペイン、ドイツ、ベルギ一、イタリア等をめぐり、ジプシ一等流浪する芸人たちに興味を抱きます。

海外で見た様々な絵画と技法に影響を受けながらも自分のスタイルを崩さず、自分なりの美を求め続けていたのです。パリから帰国の際に、渡欧中に親交を深めた藤田嗣治から、「日本に帰ったら秋田や東北の良さを教えられ、自分の画風で描きなさい。

と勧められたと言います。その助言に従って、青森県津軽地方を旅するうち、瞽女を知り、越後、信濃路のご女宿を訪ね歩いて瞽女シリーズを描くようになりました。

盲目のごぜを追い、描き続けた斎藤真一ですが、彼女達を描く際は独特の色である“赫”を使い描いています。幻想的な雪の中に肩を寄せ合い、見えぬ目ではあるものの心と音で感動を与え続けるごぜの姿は斎藤真一という画家に大きな転機を齎したのです。

 

現在、彼の描く作品は映像化されたり、劇化されたりと我々の心を捉えて止まない重要な意味を持ち合せた重要作が多くあります。常に真実と芸術の核心描き続けた斎藤真一は、日本の美術界に無くてはならない存在であったのです。

1993年、長年の支持者であった仲野清次郎によって山形県天童市に財団法人出羽美術館分館・斎藤真一心の美術館が開館しています。

 

ひるねこ堂では斎藤真一の作品を高価買取しております。

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