高価買取作家
奥谷博
1934年 高知県宿毛市に生まれる
1958年 独立美術協会展に(第26回展)「埋玉」初出品、初入選
1963年 東京芸術大学美術学部専攻科を修了する
1965年 独立美術協会展にて「針千本」「桐の木の下」が独立賞・須田賞を受賞する
1966年 愛知県立芸術大学美術学部の専任講師となる
1967年 フランスに1年間留学する
1985年 紺綬褒章を受章する
2001年 東京芸術大学美術学部客員教授となる
2007年 文化功労者を得る
2017年に文化勲章に選ばれた洋画家・奥谷博は色鮮やかで幻想的なたたずまいの人物画や風景画で知られます。
フレスコ画で会得した技術を用いた薄塗りの技法で描かれた具象画が齎す作品は数多くの人々を魅了します。その鮮やかな色使いに見られる、奥谷の色彩センスは各方面から高い評価を得ています。
奥谷博が活躍している時代は、抽象画がもてはやされ、具象画を描く画家は少なかったようです。
しかし、その風潮に反して奥谷は具象化を書き続けます。
「その土地の思いがいつも作品に宿るようにおもう」と常に語っていた奥谷の作品は、芯を捉えたリアリティ溢れた仕上がりを見せ、妥協を許さないその制作態度は彼自身の真面目さも伺い知ることができます。
そんな奥谷の代表的な作品として「詩海」は外すことはできません。
海岸の岩場に並べられた様々な魚介と、それを獲ったと思われる漁師風の男が描かれたこの作品は、対象となる男と魚介の構図バランスの良さが秀逸です。
グリーンとブルーで囲まれた色彩の中に褐色系で、大きく描かれた魚介が、海の恵みを強く感じさせると共に、どこか不気味さ無機質さも感じさせ、絵の前に立った瞬間、陶酔して動けなくなる感覚を呼び起こします。
第1回文部省(現文化庁)芸術家在外研修員として1年間パリに滞在。その後1971年に再び渡欧し各地の美術館を訪ね歩くかたわら、展覧会に出品されていた大和絵の名作「伝平重盛像」を見たことで「洋画と日本画の融合」を意識します。日本画の線の美しさを油彩画に取り入れ、独自の作風を生みました。
1974年に発表されている「貴江七歳像」は赤で一面が染まった中に少女が佇む、どこか悲観的で慈愛に満ちた作品ですが、その色彩の美しさに心が奪われます。
様々な経験を全て、自分の感覚に落とし込み、ナイーブで繊細な感性を意のままにキャンパスで表現する大家になりました。彼の信条である「描くことは生きること」は、未だなお多くの芸術家の心の支えになっています。
死ではなく生を描き続ける奥谷の作品は、まさに日本の宝なのです。2007年春にはパリ・ユネスコ本部で日本人洋画家として個展を初めて開催し、世界各地に点在する世界遺産を題材とした作品群は、大きな反響を呼びました。
昭和会賞や芸術選奨、日本芸術院賞など数々の受賞歴を誇り、洋画界の重鎮としてその創作活動は注目を集めています。
ひるねこ堂では奥谷博の作品を高価買取しております。
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