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棟方志功

1903年 青森県で生まれる
1924年 上京
1928年 第9回帝展にて「雑園」(油絵)が入選
1930年 文化学院で美術教師になる
1932年 日本版画協会の会員になる
1956年 ヴェネツィア・ビエンナーレにて「湧然する女者達々」が国際版画大賞を受賞する
1970年 文化勲章を受章する
1975年 72歳で死去 贈従三位

 

青森の出身として郷土をこよなく愛し、「日本のゴッホとなる」と志を立て、版画で数々の素晴らしい絵画を残した日本画家です。
18歳のときに友人宅で文芸誌『白樺』の挿し絵に使われていたゴッホの絵「ひまわり」に出会って感動し、以来芸術家を目指しました。

21歳のときに上京し、様々な仕事をしながら絵画の勉強を続けました。周囲は師匠について絵画の勉強をするよう勧めましたが、

志功は師匠に付けば、師匠以上の絵は描けないと独自の道を歩むことを選択しました。そして、上京5年目にして帝展に入選します。

その後、川上澄生の「初夏の風」という版画に感銘を受け、版画の道に入ります。

1936年には、制作した版画「大和し美し」が出世作となり柳宋悦らと交流するようになり、民芸運動から様々なものを吸収します。

また、「釈迦十大弟子」では日本画家として国際的な評価を受けることとなりました。

 

志功の絵画は、故郷で幼いころから見て育ったねぶた祭りや凧絵の影響を大きく受けています。

志功の作品では、人物の頬など、ところどころに使われる朱に近い赤が、画面に温かみを与え、印象的ですが、

それらはねぶた祭りなどに使われる色合いに近いものです。郷土で祀られている神々を描いた作品も残しています。

また、作品からは、生き生きとした勢いのある筆致がみてとることができます。

これは、志功が彫刻刀において三角刀を好んで用い、それを素早く勢いある手さばきで彫り進めているからです。

これらは伝統的な日本の版画の技法とは異なるもので、志功独自の彫り方であるといいます。
死を予感した棟方は、亡くなる前年に自分の墓の原図を描いています。

忠実に作られたその墓は、なんと敬愛するゴッホの墓と全く同じ大きさ、デザインのものでした。

前面には『棟方志功 チヤ』と夫婦の名を刻み、

没年には永遠に生き続けるという意味を込めて「∞」(無限大)と彫り込まれています。

 

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