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高価買取作家

高光一也

1907年 金沢市北間町で生マレル

1925年 石川県立工業学校図案絵画科を卒業する

1929年 第16回二科展にて「卓上静物」が初入選

1932年 第13回帝展にて「兎の静物」が初入選

1937年 第1回新文展にて「藁積む頃」が特選を受賞する

1947年 第3回日展にて「みなみを想ふ」が特選を受賞する

1955年 金沢美術工芸大学教授になる

1963年 日展にて「収穫」が文部大臣賞を受賞する

1971年 日展出品作「緑の服」が日本芸術院賞を受賞する

1979年 日本芸術院会員になる

1986年 79歳で死去

 

高光一也は、「明るく、健康な絵」をモットーに人物画、特に輝かしい女性像を描き続けました。華やかな色彩の女性像を得意として、健康的で明快な画風を示しました。郷土を離れず常に金沢にあって後進の指標となり、昭和期の石川洋画壇を牽引した洋画家です。

 

洋画家であり、浄土真宗大谷派専称寺住職でもあります。近代の宗教家、高光大船の長男で、仏教に対する著作もあります。

田舎暮らしで画壇の事情にうといので、中村研一から「そろそろ院賞をいただきましょう」と促されて、わけのわからないままに夢中で制作した「緑の服」で、日本芸術院賞をもらったといいます。もらったときは既に中村研一は、既にこの世の人ではなかったので、高光一也は申し訳ない気持ちだったそうですが、時既に遅しだったそうです。 「緑の服」という題名ですが、緑というより、幾何学模様的なグリーンやオレンジ、ブルーの色が入ったワンピースを着ている女性の絵です。

バックが本当に目立たない、グレーと少しオレンジがかった色なので、この服は際立つのですが、なぜ緑の服なのかは不思議ですね。また、文部大臣賞をとった「収穫」は、異国情緒のある、もしかしたら、どこかの国のぶどうの収穫をしている人の(2人)絵ではないかと思えます。ワイン用のぶどうの収穫でしょうか。

生き生きとした生命力のある人のどっしりとした重量感のある絵で、色は落ち着いたちょっと渋めの絵です。しかし評価はあまり高くなかったようです。その時代時代で、人気が出るスタイルというのは違うのでしょう。

 

高光和也の作品は人物画が多く、身近にいる人をモデルにして、ギリシャやローマの遺跡にたたずませた画、木をバックにした画など普遍的な女性美をあらわしている芸術作品が今も変わらない生き生きとした魅力で、観るものを感動させます。人物画で、高光氏が70歳のとき、「紫色のコスチューム」という題で、往年の歌手の淡谷のり子を描いています。後ろはギリシャの遺跡のようで、紫のドレスがバックの遺跡のベージュとコントラストをなしています。

金沢美術工芸大学教授、石川県美術文化協会理事長・顧問、石川県美術文化振興協議会委員などを歴任し、石川県の美術教育や文化振興に多大の尽力をしました。石川洋画壇の重鎮として比類ない存在であったといえます。

 

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