高価買取作家
白滝幾之助
1873年 兵庫県但馬国で生まれる
1894年 第4回内国勧業博覧会にて「待ち遠し」が入選する
1896年 山本芳翠の生巧館画塾に入る
1897年 東京美術学校を卒業する
1905年 渡米
1911年 帰国
1920年 第2回帝展に「芍薬」「コンデル博士の像」を出品する
1952年 日本芸術院賞賜賞を受賞する
1960年 88歳で死去
白滝幾之助は、穏和で堅実な写実的作風で日本的風俗をモチーフとした作品を多く描いた画家です。
小学校を卒業後にすぐさま工学士を夢見て上京をしていましたが、その時洋画家である山本芳翠に出会い師事します。その後、黒田清輝の開く天真道場で学び、画家としての力をつけて行きました。
その後、東京美術学校の3年に編入するという異例の処置をもらい日本屈指の美術学校で美術の基礎を学んで行きます。水彩画を選んだ白瀧幾之助は卒業したのちに、ニューヨークやパリ、ロンドンで7年間学び、イギリス水彩画の影響を色濃く残した作品を残しています。様々な刺激を受けながらも自身の描きたい作品を追求し模索し続けます。
帰国後は大森にアトリエを構え、文展に出品をつづけ、以後帝展、日展と戦後の晩年まで官展系の作家として、審査員として写実的作品を発表しつづけていました。
昭和に入って明治神宮外苑の聖徳記念絵画館の壁画を担当し「ポーツマス講和談判」を揮毫しました。戦後も日展に出品を続けながら温雅で品のある風景画や肖像画、静物画を残しています。
平面的でオーソドックスな風景ながらも、リアリズムを追求した写実性の高い構図の取り方は彼の作風の特徴です。隠健な画風も彼の真面目で実直な性格を表すかのような素晴らしい作品を数多く残しています。
白瀧幾之助の作品の中で忘れられることのないだろう作品のひとつに1939年頃に描かれた「志賀高原風景」があります。
夕暮れ時なのか、空がほのかに黄色くなり樹々の合間から覗く湖水には夕日の赤がさりげなく反射しており、美しくも幻想的で思わず溜め息がでてしまうような作品です。暖色系に彩られた全体像は優しい油彩独特のタッチで描かれ、少しフォービスムを彷彿とさせる色使いながら、敢えて写実的に捉えるこの画法は白瀧幾之助独特のものでしょう。
ヨーロッパに留学していた当時、白瀧幾之助はラファエル・コランに師事しており、色濃く彼の影響を受けたのではと言われていますが、決してただの模倣ではなく彼独特の目線で描かれた完全なるオリジナルな作品に消化されています。
外光派であった白瀧の「夜明け」という作品は、まさにそのラファエル・コラン風に描かれる風景画ですが、すっと我々の心に爽やかな印象で入って来るその作品は、我々日本人だからこその気持ちを表現しており、作品そのものが白瀧幾之助であるからに違いないからではないでしょうか。
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