高価買取作家
古賀春江
1895年 福岡県久留米市で生まれる(本名:亀雄)(僧号:良昌)
1910年 中学明善校へ入学する
1912年 上京する
1913年 日本水彩画会研究所へ入所する
1915年 「通称:春江」と称した
1917年 太平洋画会展で「梧桐」(水彩)が入選する
1919年 二科展で「鳥小屋」が初入選を果たす
1922年 「埋葬」二科賞を受賞する
1933年 38歳で死去
洋画家・古賀春江は、日本の初期のシュルレアリスムの代表的な画家 として知られています。
「カメレオンの変貌」と言われるほどに、様々な様式で絵画を変幻させていき、その類い稀なる才能で日本洋画の時代を変化させていきました。
実家は、浄土宗の寺・善福寺であり、古くより仏門という家系の中で芸術と向き合いながら生きていきました。古賀春江は、幼少の頃より絵画を描くことに長けており、将来は絵画で生計を立てて行くことを所望します。
その気持ちは、年を追うごとに増していき、上京を決意します。太平洋画会研究所に日本水彩画研究所に所属して、洋画を研究し続けて行きます。
若い頃は竹久夢二の絵にあこがれ、1919年に松田諦晶宛ての葉書でも竹久夢二を賞賛、その影響は大きかったと言えます。
研鑽の日々を続けていた1922年、ついに二科賞を受賞し、入賞をキッカケに様々な活躍を魅せていきました。その後は、新しい洋画の風を日本に吹かせるために「アクション」という美術団体を共同で立ち上げて行きます。
また、セザンヌから影響を受け、未来派やピカソ、ローランサンにも関心を持っていました。1927年になると、特にパウルクレーの絵画に魅せられ、その様式に傾倒していきます。
「窓外の化粧」などは、美しいその筆遣いとタッチで描かれる古賀春江の代表作として、広く知られています。古賀春江自体、シュルレアリスムを日本に広めて行く人物としても有名であり作品「海」などでは、モンタージュ技法をバランス良く組み合わせた秀作である認められています。
コラージュ技法自体は、古賀以前の大正期の画家が既に実践しており、それ自体は何ら新しい試みではありません。
しかし「海」においては、絵画におけるモンタージュではなく、むしろ写真におけるモンタージュ技法に近い点が従来と異なります。
普通のシュルレアリスムとは一画を越す新しいアプローチで描かれる古賀春江の作品は、日本モダニズムを確立しているとさえ言われています。
また油彩・水彩画の他に、自作の絵に付けた詩も多く残しています。
病弱であった古賀春江だけに、作品作りも命がけでしたが、新しい美術様式を確立するためにもアヴァンガルド洋画研究所を設立します。
ただ、この設立の直後にこの世をさってしまいます。日本の洋画を大きく変化させていった、希代の画家古賀春江。志半ばでこの世を去りながらも、彼の思う芸術は我々に伝わって行ったはずです。
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