高価買取作家
岩田藤七
1893年 宮内庁御用達呉服商・初代岩田藤七の長男として生まれる
1900年 二代目藤七を襲名
1922年 建畠大夢に師事し、彫刻を学ぶ
1926年 商工省第13回工芸展(金工)3等賞
1928年 第9回帝展より連続3回特選
1931年 岩田硝子製作所を設立
1936年 昭和11年 文部省美術展覧会・招待展出品
1938年 パリ万国工芸展銀賞受賞
1940年 紀元2600年 奉祝美術展出品
1941年 東京府芸術保存審議会委員、東京工芸総合展美術工芸部展審査員
1946年 第2回日展審査員。以後審査員を続ける
1951年 日展出品作「光りの美」が対象となって25年 度日本芸術院賞受賞
1957年 高村豊周、山﨑覚太郎、楠部彌弌らと葵洸会創設
1958年 ブリュッセル万博出品、グランプリ
1962年 ホテル・オークラの建設時に照明装飾プランに参加
1968年 皇居新宮殿にコロラート壁面「大八洲」を製作
1969年 第10回毎日芸術賞受賞
1971年 文化功労者に選ばれる
1972年 日本ガラス工芸協会が設立され、名誉会員となる
1980年 87歳で死去
岩田藤七は日本のガラス工芸家です。ガラスといえば実用的な工芸品であった時代に、独力で色ガラスの製法を学び、色ガラスによる装飾壁面「コロラート」を生み出し、世界のガラス工芸の発展にも大きく貢献しました。「現代ガラスアートの先駆者」と名高く、国内外問わず多くの美術館に彼の作品が所蔵されています。
息子の岩田久利も略伝硝子工芸家であり、芸術院賞・文部大臣賞を受賞後、日展理事・光風会理事を務めました。
東京日本橋の呉服商の家系に生まれた岩田藤七は幼いころより美しい工芸品に興味を持ち、美術に関する仕事を志すようになります。
1911年に白馬会に入会し、岡田三郎助から洋画の基礎を学び東京美術大学へ進学します。
東京美術学校(現・東京藝術大学)で彫金・洋画・彫刻を学び、アールヌーボーに啓発されてガラスの道を志すようになり、今村繁三から吹きガラスの技法を学び、ガラス工芸にのめり込んでいきました。
1930年に岩城硝子を退社し、自身のガラス作りを本格的に始めていきました。後に海外では1937年にパリ万国工芸展で銀賞を獲得するまでとなりました。
1944年に念願の岩田硝子製作所を設立しました。日展や帝展などにも出品を重ね、ガラスアートの地位を確立していきました。
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