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十二代 坂倉新兵衛 「萩茶碗」

2020.04.22

 

お客様より買取致しました、十二代 坂倉新兵衛 「萩茶碗」。

 

山口県の萩焼窯元、坂倉新兵衛窯の当主が代々襲名している陶芸作家。

 

十四代 坂倉新兵衛は山口県指定無形文化財萩焼の保持者でもある。

 

当代は十五代坂倉新兵衛正治。

 

萩焼茶碗は、高麗茶碗の美しさにならった気取らない素朴な茶陶は茶人達が愛した唯一無二の存在。

 

本日は、坂倉新兵衛が拘り続けた「萩焼」ついてご紹介いたします。

 

 

 

 

 

 

 

■~表情を愛でる~■

 

茶陶を焼く萩藩の御用窯がルーツの「萩焼」、御用窯とは、幕府や藩直営の窯のこと。

「やきもの戦争」とも呼ばれる文禄・慶長の役の際、藩主・毛利輝元が連れ帰った、朝鮮半島の陶工である李尺光(りしゅくこう)・李敬(りっけい)兄弟が築窯したのが起源。

材料は「大道土」という白い粘土、その性質に合わせて約1200度と低めの温度でじっくり焼くため、あまり焼き締まることがありません。

しかし釉は縮まるので、「貫入」ができます。

萩焼の醍醐味のひとつが、使い込むことで、変化する風合い。

ほっくりとした焼き上がりで給水性があるため、使ううちに貫入から水分がしみ込みます。

やがて色や肌合いが微妙に変わることを、茶の世界では「茶慣れ」や「雨漏」といいます。

ひとつの器を大切に、長く使えば使うほどしみが現れたりひびが目立つように、表情の変化は「萩の七化け」と呼ばれ、親しみをもたれています。

 

■~親しみと安らぎの器~■

 

茶の世界に「一楽、二萩、三唐津」という言葉があります。

楽焼も唐津焼も、江戸の茶人に愛された格の高い器、素材という例えがぴったりの、わびた佇まいの萩茶碗が、当時どれだけ愛されたか伝わる言葉です。

大切にしているのは、ほのかなぬくもりを感じさせる色合いと、土そのものの柔らかみ。

釉は透明な土灰釉(どばいゆう)と白くにごる白釉、藁灰釉(わらばいゆう)がほとんど。

模様はあまりつけず、絵付けなどの装飾もまず見られません、その代わり「粉引き」や「三島」といった釉がけの技法や、自由に両手を使える「蹴ろくろ」でデザインをプラスして変化を加える。

さらに「切高台」や「割高台」など、高台にも特徴があります。

幕末・明治の頃には、明治維新など政治的変化で藩の保護を失い、一時衰退。

しかし御用窯の流れを汲む萩焼の名門・三輪家の十代休雪などの努力で、「休雪白」などの釉かけの技法を開発し、大正から昭和にかけて復興。

新しい窯も増え、現在では100軒以上もの窯元で賑わっています。

 

■~偶然と景色~■

 

古くから茶人の抹茶茶碗の好みの順として、「一楽・二萩・三唐津」これはそのまま順位として表現とも言われています。

楽焼が真っ黒な釉薬を使うことが多いのに対して、萩焼の美しさは女性的な白化粧。

釉薬を薄くかかっているだけなので、多数ある小さな穴から水分がしみ込んで次第に味わい深くなる、「萩七化け」が生じます。

それらの要素により、作品毎に違った表現をみせる茶碗は茶人にとっての唯一無二の存在となります。

 


 

『坂倉新兵衛 』の作品をお持ちの方は、ひるねこ堂へ是非ご相談下さい。

ひるねこ堂では『坂倉新兵衛 』の作品を高価買取致しております。

 

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