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バーナード・リーチ

1887年 香港で生まれる
1895年 父の転勤でシンガポールへ移る
1897年 イギリス本土に移る
1903年 ロンドンスレード美術学校に入学する
1904年 父親が亡くなり、銀行員となる
1907年 ロンドン美術学校でエッチングの技法を学ぶ
1909年 日本に再来する
1912年 6代・尾形乾山に陶芸を学ぶ
1917年 我孫子の柳の家に窯を開いて陶芸家としての一歩を踏み出す
1920年 イギリスのセント・アイヴスに移り日本の伝統的な登り窯を開く
1922年 リーチ・ポタリーという名の窯を開く
1934年 再び来日し日本民藝館設立に協力する
1940年 『A Potter`s Book』を出版する
1963年 大英帝国勲章を受章する
1974年 国際交流基金賞を受賞する
1977年 ヴィクトリア&アルバート美術館で大規模回顧展を開く
1979年 逝去

 

植民地官僚だったイギリス人の父と母の間に香港で生まれたバーナード・リーチは、

母親が出産時に命を落としてしまったため、日本にいた母方の祖父に引き取られました。

父親の再婚にともなって香港に戻ったバーナード・リーチですが父親の転勤の関係でシンガポールへ移る事となり、

バーナード・リーチだけがイギリス本土へ戻りました。

 

イギリスへ戻ったバーナード・リーチは芸術家を志し、ロンドンのスレード美術学校に入学します。
しかし、父親が亡くなったため銀行員として働きながらロンドン美術学校でエッチングの技法を学びました。
この時にロンドンへ留学中だった高村光太郎と知り合い、日本へ強い憧れを抱き来日、東京上野に住み、

柳宗悦をはじめ白樺派の青年達と知り合い彼らの本拠地でエッチングの指導を行います。

 

その間にイギリスで起こったウィリアム・モリスらのアーツ・アンド・クラフツ運動など、

西洋芸術についての議論を通して手仕事の復権や日用品と美の問題などを語り合う日々を送ってる中、富本憲吉と知り合います。

富本憲吉とともに上野の博覧会会場で楽焼の絵付けを始めたことをきっかけに茶道や茶道具に興味を持ち、6代・尾形乾山に陶芸を学びました。

こうして中国から戻った柳宗悦の家に窯を開き陶芸家としての一歩を踏み出しました。

 

その後、バーナード・リーチのもとを訪れた濱田庄司と友人となるとイギリスのセント・アイヴスに移り濱田庄司とともに日本の伝統的な登り窯を築き、

西洋と東洋の美や哲学を融合させた陶磁器制作に励み、朝鮮、日本、中国の日用陶器に注目し、

スリップウェアや塩釉といったイギリスやドイツの忘れられつつあった伝統的な日用陶器にも着目してその技法を自分のものとしました。

 

陶芸の価値がまだ低かった海外において、著書『A Potter’s Book』を発行し、大きな衝撃を海外に与えました。

晩年、視力を失いかけながらも、1963年に大英帝国勲章を、1974年には国際交流基金賞を受賞するなど、まさに生涯現役を貫く陶芸家として活躍を続けました。

 

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