高価買取作家
坂新兵衛
1796年 生まれる
1877年 逝去
江戸後期から明治時代に活躍した陶工、8代目坂新兵衛は、山口県長門の萩焼坂家8代を継ぎます。
文政9年萩藩主毛利斉元の命により大坂にいき、また京都の有栖川宮に製陶の技術を披露しました。
8代目坂新兵衛は本名を忠陶、通称を新兵衛、号を翫土斎・松翁といいます。
坂新兵衛という名で活動をしていながらも、一方では高麗左衛門という名を持っており、どちらかというと高麗左衛門のほうが通名としては浸透しています。
坂新兵衛の歴史は古く、初代は1568年に生まれています。松本御用窯として系譜を守り続けていた坂新兵衛。1765年に5代目が自家についてまとめていた略系並伝書に、坂本と名乗っていたが、後に坂として名乗ったということが記載されています。
松本御用窯は、文禄・慶長の役の時に招致された渡来陶工の李勺光と李敬、後の高麗左衛門が開窯したことに始まります。萩藩初代藩主・毛利輝元の命によって、松本村中ノ倉に造られたことからも、松本窯という名がついたということです。
初代坂新兵衛の名は李敬でした。李敬は、2代藩主・毛利秀就から既にという名を賜っていたのですが、助八という名で活動をしていたと言われています。
その後も代々松本御用窯としての活躍を続けていくのですが、3代目から坂新兵衛が使われ始めました。3代・4代・6代・8代が「新兵衛」と名乗っています。他では、2代・5代・7代は「助八」と名乗っていた事が分かっており、年代などによっても、その呼び名は多数あるようです。
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