高価買取作家
川喜田半泥子
1878年 大阪府で誕生。(幼名:善太郎)
1879年 祖父と父が他界し1歳で川喜田家16代当主となった。
1903年 百五銀行の取締役に就任
1919年 六代頭取となる
1933年 千歳山の自宅に窯を開き本格的に作陶を始める
1942年「からひね会」をつくり「荒川豊蔵」「金重陶陽」「三輪休雪」ら3人の人間国宝を支援した
1945年 百五銀行の頭取から会長に退く
1963年 10月26日 84歳没
川喜田半泥子は、15代続く豪商の家に生まれて裕福な家庭で育ち、さらに本職としては銀行の頭取を26年間も務めるなど財界の要職に就き、さらに県議などもした上に、陶芸もプロ級で、実に超大物の人物でした。「東の魯山人、西の半泥子」などと言われ、日本陶芸界の大きな存在となった人物です。
川喜田半泥子は大阪に生まれています。伊勢の豪商の家に生まれましたが、生まれてすぐに祖父と父が亡くなったことで1歳という年齢で川喜田家16代当主となってしまいます。祖母に育てられ、筆頭分家の川喜多四郎兵衛などからも教育を受けました。1903年に百五銀行の取締役に就任したことをきっかけに、数々の企業を合併、買収する実業家ぶりを発揮。三重県財界の重鎮として、三重合同電気社長や明治生命の監査役などを務める大人物となっていきました。
陶芸はあくまでも余技・趣味としてのものとのことで、作品の販売は一切しませんでしたが、名工であり、市販品にはないような本当に素晴らしい独創的なものが多いようです。
文化活動を発展させていくために、「からひね会」を立ち上げ、全国の有名陶芸家達と関係を持ったことも有名です。「荒川豊蔵」「金重陶陽」「三輪休雪」など、誰もが知る人間国宝の作家達を支援しつづけました。実業家だからこそできる、この活動は川喜田半泥子の強い特徴のひとつなのではないでしょうか。1950年には銀行を退き相談役に。作陶生活の傍ら、文化支援活動を積極的に行っていたことでも、どんどん価値が上がりました。
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