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吉向十三軒

1804年(文化元)年に大坂の十三村(現:大阪市淀川区)に開窯。

1834年(天保5)年には周防国岩国藩に招かれて2年間作陶に従事しました(岩国吉向)。

1836年(天保7)年に再度岩国を訪問して個人営業の窯を焼きました(岩国山焼)。

1839年(天保10)年に江戸に同行して向島の江戸屋敷で御庭焼を営みました。

1861年(文久元)年の治兵衛没後には養子の一朗高義が跡(江戸吉向)を継ぐ。

1891年(明治24)年の5代の時に「十三軒吉向」と「松月軒吉向」に分かれて現在に至ります。

伊予大洲出身の戸田治兵衛が、京都にでて陶づくりを学び、享和の始め、大阪十三村に窯を築きました。庭前の老松と生駒山にのぼる月を愛で、「十三軒松月」と号し、作陶に専念いたしておりました。

作品の特徴は、創造性の高さをアートという方面に押し出しておらず、敢えてミニマムで端正な作品作りに美しさを求める、実にモダンで現代的なところです。

椀などは勿論のこと、水指や花入、菓子器など様々な製品を手掛けていますが、その全てがモダンでミニマム。海外においても評価の高い、その研ぎすまされた陶芸へのアプローチ精神が、吉向十三軒の技術の高さを物語っています。

初代松月が、浪速の地に窯を築いて以来、200年余、各代々が種々の技術を伝統に取り入れ、

吉向焼として独自の発展をしております。

平成19年10月七世松月の次男孝造が九世松月を襲名しました。それに伴い、八世松月(秀治)が「そう斎」(「そう」は子偏に宗)の名を賜りました。

八代は千家十職以外の職人として例外的に出入りが許される裏千家御出入方陶器師として、常に最高の茶道具を製作している精神と技術の高さを証明しています。

十三に端を発した窯は、高津(現在の大阪市中央区)、枚方を経て、昭和55年交野市に移転しました。この交野は、奈良時代の陶器、正倉院三彩の陶土の採取地として古文書に残っているやきものにゆかりの深い地でもあり、現在、四季折々の自然に包まれた私市月の輪の滝のほとりで作陶活動に専念致しております。

 

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