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近藤悠三

1902年 京都市清水寺下、父正平、母千鶴の三男として生まれる

1953年 京都市立美術大学の陶磁器科助教授に就任

1965年 京都市立美術大学学長となる

1970年 紫綬褒章受章

1973年 勲三等瑞宝章受章、京都市文化功労者章受章

1980年 紺綬褒章受章

1985年 逝去

 

 陶磁器染付の分野で重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受け、陶芸界に大きな足跡を残した近藤悠三(本名・雄三)は、明治三十五年に清水寺門前の家に生まれました。親族の多くが陶芸家で、美術界のサラブレッドという異名も持っています。

 十二歳で、ロクロ技術を習得するため陶磁器試験場付属伝修場に入所した近藤悠三は、そこで河井寛次郎氏や浜田庄司氏と出会い、また十九歳からの三年間、富本憲吉先生の助手となって修業を重ねました。

 二十二歳で独立した近藤悠三が、母親の助力を得て仕事場を設けたのもこの場所です。その仕事場でひたすら想を練り技を磨きながら、近藤悠三は陶磁器染付の最高峰と称されるまでに、みずからの作境を高めていったのです。

 染付、釉裏紅や象嵌等など、数々の技法を用いた作品を多く生み出します。近藤悠三の名が知れたのが、1928年の第9回帝展での初入選でしょう。ここから、なんと13回連続で入選するという快挙を成し遂げます。そして、その後に発表される「山水染付壺」は第3回日本伝統工芸展で日本伝統工芸会賞を受賞した名作となりました。

 染付の重要無形文化財の保持者として認定された後も、手を休めることなく作陶生活を続けました。

 

 

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