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高価買取作家

青木龍山

大正15年 佐賀県有田の窯元の長男として生まれる。(本名:久重)

昭和26年 多摩美術大学日本画科を卒業

昭和28年 作陶を始め「龍山」と称した。「初代:奥川忠右衛門」に轆轤技術を学ぶ。

昭和29年 第10回日展に「花紋染付大皿」初出品、初入選。

昭和46年 第3回日展に「豊」を出品、特選受賞。

昭和48年 第12回日本現代工芸美術展に「豊延」を出品、会長賞、文部大臣賞受賞。

昭和56年 日本現代工芸美術展に「容」特別会員賞。日本現代工芸美術家協会理事就任。

昭和63年 第27回日本現代工芸美術展に「天目韻律」を理事出品、文部大臣賞受賞。

平成3年 第22回日展に「胡沙の舞」を出品、第47回日本芸術院賞受賞。

平成4年 日本美術院会員に就任。

平成5年 第52回西日本文化賞受賞。

平成9年 第29回日展審査員。審査主任を務める。

平成11年 文化功労章として顕彰される。

平成17年 文化勲章受章。

平成18年 有田町の名誉町民となる。美術部門では初の佐賀県県民栄誉賞を受賞。

平成20年 逝去。従三位に叙せられる。

青木龍山は、1926年に有田焼の陶磁器製造販売会社の長男としてこの世に生を受けています。幼少の頃より有田焼に触れる機会の多かった青木龍山は、センスも次第に養われていきました。

その後佐賀県立有田工業学校へ入学をし、卒業後はより芸術の道を極めていくために多摩美術大学日本画科へ入ります。

多摩美術大学日本画科を卒業した年には、神奈川県の法政大学第二高等学校および法政大学女子高等学校の美術教師としても赴任しており、後進への指導も行っていました。

2年間、教師として生活を送るのですが、父親が新しい会社を起こしたことを機会に呼び戻されることになります。新たな会社としては、貿易を主とした内外向け陶磁器製造販売を広く手がける青木兄弟商会となりますが、倒産してしまいます。

その後フリーの陶磁器デザイナー青木龍山、として活動していくと同時に、日展への入選を目指して作陶を続けます。

第十回日展に「花紋染付大皿」で初出展初入選。この入選を機会に、様々な賞を獲得し、数多くの作品を生み出すのです。

青木龍山の作品の特徴といえば、漆黒の天目釉に鉄砂、銀砂、青、翠などで条線文様を施したモダンなデザイン。

花器を中心に手掛けた美しいルックスで、有田焼の新境地を開きます。

そして生涯弟子も取ることなく自らの伴侶とともに多くの作品を焼き、佐賀で初めての文化勲章受章者になるのです。

 

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