TOP > 新海竹太郎

高価買取作家

新海竹太郎

1986年 仏師・新海宗松の長男として山形県に生まれる。

1898年 岡倉天心・橋本雅邦等と日本美術院 創立 正会員。

1899年 軍の依頼により北白川宮能久親王騎馬銅像 製作。彫刻家としての第一歩を示す。

1925年 勲五等に昇叙。

1926年 伊藤博文の胸像を作ったのを最後で病に倒れる。

1927年 死去。

 

新海竹太郎は、仏師の長男として山形県山形市に生まれ、

芸術家ではなく軍人を志しており19歳で上京後近衛騎兵大隊に入隊する。

 

しかし、士官候補のテストなどに失敗しており、失意の毎日を過ごす事となっていきます、その時に作っていた馬の木彫りが隊内で大評判だったため上官の薦めで彫刻家を目指すようになりました。

様々な経歴を持っていますが、その志を本気とした新海竹太郎は、後藤貞行に師事、次いで浅井忠にデッサン、小倉惣次郎に塑造を習っており、日々研鑽に研鑽を重ねることとなっていったのです。

そして、経歴を得て1896年に軍の依頼により北白川宮能久親王騎馬銅像を制作し、彫刻家として第一歩を踏み出し始めたのです。

1900年に渡欧、パリを経てベルリンに移り、ベルリン美術学校彫刻部主任教授ヘルテルに師事をします。海外で、新たにアカデミックな彫刻技術を身に着けた事で、より自らの芸術を確固たるものへとしていきます。

1902年に帰国、同年中村不折らによって創設された太平洋画会の会員となり、以後同会の中心的な存在として活躍します。

また1904年に同会研究所が創設されると彫刻部の主任となり、朝倉文夫・中原悌二郎・堀進二など多くの後進を育てた。甥の新海竹蔵も竹太郎に師事し彫刻家として活躍しています。

また、軍人で合った事や自らがその世界を目指していた事もあり、北白川宮能久親王騎馬像のほか有栖川宮威仁親王、大山元帥、南部伯爵など、様々な軍人の騎馬像を仕上げている事でも知られています。

息子は、画家の新海覚雄である事も広く知られています。

 

代表作は『あゆみ』『露営』『大山元帥騎馬像』『青山胤通像』『老婆』『少女』

高価買取作家カテゴリー

お電話での査定は0120-510-410まで