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高価買取作家

朝倉文夫

1883年 3月1日、大分県大野郡朝地町に生まれる。

1893年 養子として朝倉宗家を継ぐ。

1902年 竹田中学校を中退。上京し、実兄の彫塑家、渡辺長男宅(旧下谷区谷中初音町) に住み彫塑を学ぶ 。

1903年 東京美術学校(現・東京藝術大学)彫刻選科に入学。

1907年 同校彫刻選科卒業。卒業制作『進化』制作。谷中天王寺にアトリエを新築。子弟養成。

1909年 東京美術学校研究科修了。

1911年 シンガポール、ブルネイ、その他、南洋を視察。

1921年 東京美術学校教授に任ぜられる。山田やまと結婚。

1934年 台東区谷中天王寺町、初音町にアトリエを改築、朝倉彫塑塾とする。

1944年 過去40年間に制作した像、約400点が戦争による金属回収のため彫像のほとんどが消滅。うち原型300点は保存。

1945年 帝室技術員に任ぜられる。

1958年 日展顧問となる。

1964年 4月18日、旧姓骨髄性白血病にて死去。享年81歳。

 

 

東洋のロダンなどという異名を持ち合わせ、数多くのモダンな作品を生み出しつづけて行きました。娘は舞台美術家・画家の
朝倉摂という事で、芸術一家と知られています。

11人兄弟の5番目の子という大家族での生活でしたが、朝倉種彦に養子に出される事となります。そして、大分尋常中学校竹田分校卒業後高校を受験しますが3度の失敗。

今後の人生を心配した母親が、新進気鋭の彫刻家として既に活躍していた9歳年上の兄・渡辺長男を頼り上京します。

新進気鋭の彫刻作家としても脂の乗り出してきた兄の仕事振りに魅せられていった朝倉文夫。

必至の勉強を重ね東京美術学校の彫刻家に入学する事となり、彫刻制作へと没頭する日々を送ります。そして、貧しい事もありモデルを雇う
余裕の無いことから上野動物園で動物のスケッチをしていきます。

ここで貿易商と出会います。貿易商の注文で動物の像の制作を始め一日に一体のペースで卒業までに1200体以上描いたという逸話が残っています。

日々の努力からか、非常に技術が上がり、文部省が美術奨励のために開いていた第2回文展に『闇』を出展。

その賞をキッカケに数々の賞を受賞する事となり、名を広めて行きます。名を馳せた朝倉文夫は、アトリエを改築し「朝倉彫塑塾」を作り、
新たな彫刻家の発掘に尽力をします。

第6回文化勲章を受章、日本芸術院第一部長、日展の顧問など、数多くの名誉ある仕事の傍ら、まさに様々な彫刻作品を生み出しつづけ、
国内各所にも朝倉文夫の作品が多く設置されています。

 

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