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高価買取作家

徳岡神泉

1896年 京都府で生まれる
1909年 土田麦僊の紹介で竹内栖鳳の画塾竹杖会に入る
1910年 京都市立美術工芸学校絵画科に入学する
1917年 京都市立絵画専門学校別科を修了する
1938年 新文展審査委員となる
1939年 第3回新文展出品作品が文部省買い上げとなる
1957年 日本芸術院会員となる
1966年 文化勲章を受章する
1972年 6月9日、腎不全よる尿毒症により76歳で逝去。従三位銀杯を賜った

 

京都写生派の流れに立った写実を発展させ、神泉様式とも表現される幽玄かつ象徴的な独自の日本画は、

戦後の日本画に大きな影響を与えた。作品全体に深い印象を与える繊細な地塗りも有名。本名は徳次郎。
代表作は『赤松』『流れ』『刈田』『仔鹿』

 

京都写生派の提唱する写実美を発展させ、神泉様式と呼ばれる、幽玄で象徴的な独自の作風を完成させました。
そのような独特の画風が戦後の日本画に与えた影響は大きい他、作品全体に深い印象を与える、

地塗りと言われるテクニックを使ったことでも知られております。

 

学生時代から、ことごとく文展で落選を繰り返し、クラスメートなどが次々に入選する中で、彼は孤独感にさいなまれ、

1919年には第1回日本無名展に『雲の流れ』で見事に褒章を受けたものの、自身を回復することは出来ませんでした。
そして、京都を離れて富士山麓の岩淵へ逃避し、この頃は、俊成の号を用いていましたが、

1920年に結婚してからは、名園として知られる神泉苑にちなんで、神泉と改めることになります。

 

その後、静岡県富士市に移り住んだ後、初心に帰ることを決めて、故郷の京都に戻ります。

そして、1925年第6回帝展で『罌粟(けし)』が初入選を果たした後は、特選の受賞が相次いだことなどで自信を取り戻しました。

 

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