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高価買取作家

荒木寛畝

1831年 江戸芝赤羽橋で誕生(幼名:光三)(別号:雲居・橋村・木吉・詩画堂主人・達庵)
1839年 谷文晁系の絵師:荒木寛快に入門
1856年 荒木寛一と共に秋月藩主黒田長元の屋敷で席画を行う
1859年 土佐藩の御用絵師となる
1872年 内田政雄招来の油彩画を見て感銘を受ける
1879年 高橋由一・五姓田義松らと明治天皇・昭憲皇太后・英照皇太后の御影を描く
1884年 第2回パリ府日本美術縦覧会「孔雀」「雪中三顧」出品
1884年 第2回内国絵画共進会「太真王夫人」「花鳥」銅賞
1890年 第3回内国勧業博覧会出品「孔雀図」妙技二等賞
1898年 東京美術学校教授に就任
1900年 帝室技芸員 パリ万国博覧会「孔雀図」銀牌受賞
1905年 セントルイス博覧会では二等賞受賞
1907年 東京府勧業博覧会「孔雀図」金賞受賞 勲六等瑞宝章
1915年 85歳 没

 

掛軸画家 荒木寛畝は幕末から明治時代に活躍した画壇で、濃密な色彩と緻密な描写による花鳥画を得意とし、またそれに洋画の技法を取り込む独特の作風で有名になりました。
江戸・芝に生まれた荒木寛畝は、9歳という幼さで谷文晁派の荒木寛快に入門しており、その後22歳の時に氏の養嗣子となったと伝えられています。

 

1856年に山内容堂に認められることとなり、土佐藩の絵師として活躍し、その後の1872年、ウィーン万博博覧会で「菊花図」を受賞したことがきっかけで、海外にも興味を持ち出します。

その受賞の年、山内容堂がこの世を去ったあと川上冬崖、チャールズ・ワーグマン、国沢新九郎に洋画を学び作風を一転させます。
もともと才能は豊かである荒木寛畝だけにすぐに頭角を現し、荒木寛畝、五姓田芳柳、高橋由一と油絵3名家と称されるようにもなりました。
しかし、油絵を極めていった荒木寛畝ですが、その後に再び日本画の転向。

南北合派に洋画の技術を混合させて、全く新しい次元の花鳥画を描き出したのです。

シカゴにパリ、セントルイス万国博覧会の展覧会での受賞をしており、国内だけでなく世界的に著名な画家となり、荒木寛畝は美術界の発展にも多数貢献しています。

今の日本画界は彼無しには、確実に成長はありませんでした。

日本が忘れてはならない、非常に大切な芸術家こそ荒木寛畝なのです。

 

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