高価買取作家
山下清
1922年 東京都台東区日本堤一で生まれる
1925年 消化不良で命の危険に陥り、軽い言語障害と知的障害の後遺症を患う
1934年 千葉県市川市の知的障害児施設「八幡学園」へ入園する この学園での生活で「ちぎり紙細工」に出会う
1938年 東京市中央区銀座の画廊で初個展を開催する
1940年 -1954年 放浪を続けた
1956年 東京大丸の「山下清展」を始め、全国巡回展が約130回開かれた
1961年 約40日間のヨーロッパ旅行に出発する 各地の名所を絵に残した
1971年 49歳で死去
洋画家・山下清は、色紙をちぎって点描派風に貼ってつくった作品を高く評価されました。
その後、時折気ままに国内各地を放浪しては絵の制作を繰り返したことでも知られています。
3歳のとき、重い消化不良で生死の境をさまよって、一命はとりとめましたが、
軽い言語障害、知的障害の後遺症を患ってしまいました。
幼い時に父が他界し、母は再婚したのですが、その義父は乱暴者でいじめられたら、
刃物で怪我させろというような人で同級生に大怪我をさせたこともありました。
母と子供3人は夫がいないあいだに逃げて、福祉施設へ転居します。知的障害児施設に預けられ、
「ちぎり絵細工」に目覚め、精神病理学者の式場隆三郎の目にとまって指導を受け、
一層充実して、早稲田大学で小さな展覧会を行えるほどになりました。
1938年、銀座の画廊で初の個展が開催され、1月には大阪でも開かれて、多くの人が彼の個展を見に出向きました。
梅原龍三郎も清を高く評価した一人でした。18歳のときに放浪の旅へ出て、これが14年間続きます。
その理由は徴兵検査を受けることになっていたため、逃げたのだそうです。
21歳のとき、彼が在籍していた八幡学園の職員から強制的に徴兵検査を受けさせられましたが、兵役免除となりました。
山下清と言えば、ランニングにリュックを背負った姿が有名ですが、あの格好は最後の2年ほどしていただけで、
最初は茶箱、そして、風呂敷と変化していったのです。
山下清は驚異的な記憶力で、絵を描くのは、その風景や人物を見ながらではなく、記憶にとどめて、
家に帰ってから作品を作るというスタイルであったので「サヴァン症候群ではないか?」という説もあります。
このサヴァン症候群とは、知的障害のある人の中で、特定の分野に限り、並外れた能力を発揮する症状を指すのですが、
山下清は、自分の見た風景や物を頭の中に映像のようにとどめて、実際見ているように描ける、優れた能力の持ち主だったのです。
日本のゴッホ、裸の大将と呼ばれた山下清の「諏訪大社」「ひまわり」の貼り絵を見ても、「カーネーション」の油絵を見ても、
あったかい色調で童話の挿絵のようなどこか懐かしく、郷愁を呼ぶような作品ばかりです。
「花火」「桜島」など行く先々の風景を、多くの貼絵に残しています。とりわけ、花火が好きだった清は、
花火大会開催を聞きつけると全国に足を運び、その時の感動した情景をそのまま作品に仕上げて
います。花火を手掛けた作品としては、『長岡の花火』が著名です。
49歳で脳出血でなくなった彼は、どこの画壇にも属していなかったため、日本の画家の中では評価が低いのが何より惜しいことです。
ひるねこ堂では山下清の作品を高価買取しております。
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