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マルク・シャガール

1887年 ロシア・ヴィテブスクでユダヤ家系に生まれる
1910年 フランスのパリへ渡る
1914年 ロシアへ帰国。第⼀次世界大戦とロシア革命を経験する
1915年 ベラ・ローゼンフェルトと結婚。以後、ベラをテーマとした作品を数多く制作する
1922年 モスクワで、ナタン・アールトマン、ダヴィド・ステレンベルクとグループ展を開催する
1923年 再び、フランスのパリへ
1941年 ナチスの迫害を逃れてアメリカへ移住する
1947年 三度、フランスのパリへ
1951年 ベルンとエルサレムで大規模な展覧会を開催する
1964年 オペラ座の天井画が完成する
1973年 ニースに「シャガール美術館」が開館する
1985年 97歳で死去

 

マルク・シャガールは初期モダニストの代表的な画家であり、当時美術界で頭角を現した

「エコール・ド・パリ」(パリでボヘミアン的な生活をする画家たち)の中心人物でした。
キュビスム、フォーヴィスム、表現主義、シュルレアリスム、象徴主義など、

さまざまな前衛芸術スタイルを融合して作品を制作したことで、高い評価を得ました。

 

シャガールは、1907年、サンクトペテルブルグの美術学校で絵画を学びます。

その後、パリに渡り、多くの芸術家と出会いました。フォーヴイズムやキュビズムなどに触れ、影響を受けたのもこの頃です。

5年の滞在の後、シャガールと同じ故郷のユダヤ人ベラと結婚します。シャガールはベラのことを終生敬愛しており、

シャガールの数多くの作品にベラと思われる人物が登場しています。結婚の喜びや、ベラへの愛が描かれています。

 

故郷ロシアでは、シャガールの絵画はその幻想性が嫌われて、良く受け入れられませんでした。

このためパリに戻ることになりますが、第一次世界大戦が勃発、ユダヤ人に対するナチスの迫害から身を守るために、

1941年にアメリカに渡ることとなります。この時代のユダヤ人に対する迫害や、

故郷ロシアで自らの絵画が受け入れられなかったため外国で生活せざるをえなかったことなどは、

複雑な思いをもって作品に描き出されています。宗教に対する深い思い、故郷に対する複雑な郷愁は、

やがて人間の根源的な悲しみへと導かれていきました。幻想的でありながらも、

作品に暗さや鋭さといったものが垣間見られるのはこのためかもしれません。また、ベラが病死してしまったことで、

シャガールは深い悲しみに沈んでしまいます。ベラを失った悲しみもまた、作品に幾度も描かれました。

 

その後、シャガールは南フランスに渡り、永住を決めます。そして、ユダヤ人女性のヴァランティーヌと再婚します。

シャガールの作品にきらきらとした色彩をもたらしたのは、この南フランスでの気候と穏やかな暮らしであるともいいます。

この地で、シャガールは、教会のステンドグラスやオペラ座の天井画などという仕事も成し遂げています。

人間の本質的な喜びや悲しみを描いた作品群には多くの人が今なお心動かされています。
愛をテーマにした絵を多く描いているため、「愛の画家」とも呼ばれ、結婚祝いや贈答用のお祝い事にも多く利用されており、

シャガールの複製絵画は、自宅やリビング用の絵画にもよく選ばれています。

 

ひるねこ堂ではマルク・シャガールの作品を高価買取しております。
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