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三岸節子

1905年 愛知県中島郡小信中島村で生まれる
1925年 婦人洋画会を結成する
1947年 女流画家協会の創立の発起人となる
1951年 第一回芸能選奨を受賞する
1968年 フランスへ移住
1986年 勲三等宝冠章を受章する
1994年 文化功労者
1998年 三岸節子記念美術館を建設し、開館する
1999年 94歳で死去

 

三岸節子は、昭和の画壇における女性の地位向上に努め、生涯にてたくましい精神力で生命を賛歌する作品を描き続けた洋画家です。

静物画に詩的な画境を開き、色彩画家として知られています。

 

節子は、尾張物工場を営む裕福な家に生まれましたが、不況のあおりで倒産してしまいます。

そのショックと、名誉を挽回したいという強い意志から、その頃、興味を覚えていた絵の道へと向かっていきます。

淑徳高等女学校を卒業後、16歳で上京し、洋画家の岡田三郎助に師事します。

1924年、女子美術学校を卒業し、三岸好太郎と結婚しました。1920年、春陽会第3回展に初出品し初入選。

3人の子を育てながら制作を続けますが、29歳のときに夫が急死します。

しかし、彼女自身は絵への情熱は衰えることなく、1936年には当時の画壇で活躍していた女性画家7人で七彩会を結成しました。

1945年、戦後初の個展を銀座で開催します。

1992年には女性画家としては初めて米国ワシントン女性芸術美術館で展覧会が開催されました。

 

戦前は様々な色彩で表現した静物画を制作していましたが、フランスで触れた原始美術に感銘を受け、

フランスから帰国後は埴輪をモチーフとして描きます。神奈川県大磯に移り住んで以降は、

原色で彩られた連作を発表。再度フランスに渡り、異国の景色に心を動かされた節子は力強い筆づかいの風景画を描き始めます。

「小さな町」(三岸節子記念美術館所蔵)は、スペインのアンダルシア地方の町がモチーフとなっています。

「三岸の赤」として知られる巧みな朱色が屋根を彩り、強烈な存在感を放っています。

89歳で再び日本へ戻りましたが、その創作意欲は衰えることがありませんでした。
彼女はこうした創作意欲、女性画家の地位向上の功績が認められ、女性画家初の文化功労者に輝きました。

花を愛し、生涯に亘り描き続けた節子でしたが、遺作ともいわれる「さいたさいたさくらがさいた」(三岸節子記念美術館所蔵)は、

まるで地面から吹き出しているかの様な花と色彩が見る者を圧倒します。画家の人生の集大成ともいえる大作です。

 

三岸節子画伯の功績を讃え、生涯にわたる作品を収集、展示することにより、

その画業を永く後世に伝えることを目的として、記念美術館が三岸の生家跡に建設されました。

 

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