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正宗得三郎

1883年 岡山県和気郡穂浪村に生まれる
1902年 日本画家を志して東京に上京。寺崎広業に師事
1907年 東京美術学校西洋画科を卒業する
1909年 文展入選
1914年 渡欧
1915年 二科会の会員になる
1962年 死去

 

200年以上続いた名家「正宗家」に生まれた正宗得三郎。長兄の正宗白鳥が小説家、

次兄の正宗敦夫が国文学者として知られるなど、正宗家は芸文を好む旧家でした。
寺崎広業の天籟画塾に通い日本画を学んだ得三郎は、次に油彩画を志し東京美術学校に入学します。

そこで、一学年上の明治の天才画家青木繁から、絵画に対する「情熱」のその激しさを学びました。

その後渡仏し、モネから直接出会って「光」を、さらにマティスからは、「色彩」の響きを学びました。

そしてフォーヴィスムを日本に持ち帰り創立したばかりの二科会の重鎮として活躍します。

「アトリエ」「モレーの運河」「セーヌ支流」などの滞欧作を特別出品し、その新鮮な色調でその存在を強く印象づけました。
戦後、二科会の解散の後は正宗は熊谷守一、栗原信、黒田重太郎、田村孝之介、中川紀元、鍋井克之、宮本三郎、

横井礼市と共に「第二紀会」を結成、近代日本美術の発展に努めました。得三郎は自身の作品に「生の充実」を唱え続けました。

 

晩年、富岡鉄斎の研究に力を尽くしました。遺作となった「素園小景」は、心そのものに語りかけてくるような色彩の表情があります。

そして「素園小景」に、この上ないナナカマドの紅葉を描いた1年後に得三郎は病に侵され、79年の生涯を府中で終えました。

年を経るごとに創作の技術が向上していくと言われる芸術家、

その中でも得三郎は比較的若いうちから自身の代表作とも言える作品を世に送り出し、その実力は所謂「ピーク」を迎える事はなく、

遺作となった「素園小景」の発表まで、作品に対する技術も想いも向上し続けたのだと思います。
昭和38年に平凡社から刊行された「正宗得三郎画集」で、この正宗得三郎のほぼ全貌をうかがうことができます。

 

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