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藤田嗣治

1886年 東京都新宿区新小川町で生まれる
1905年 東京芸術大学美術学部西洋画科に入学する
1913年 渡仏 パブロ・ピカソらと知り合う
1925年 フランスからレジオン・ドヌール勲章を授与される ベルギーからレオポルド勲章を贈られた
1938年 小磯良平らとともに従軍画家として中国に渡る
1939年 帰国
1955年 フランス国籍を取得する
1957年 フランス政府からはレジオン・ドヌール勲章シュバリエ章を贈られた
1959年 カトリックの洗礼を受け「レオナール・フジタ」となった
1968年 81歳で死去 勲一等瑞宝章を没後追贈

 

藤田嗣治は、日本生まれの画家であり、彫刻家です。第一次世界大戦前よりフランスのパリで活動し、

猫と女を得意な画題とし、日本画の技法を油彩画に取り入れつつ、

独自の「乳白色の肌」とよばれた裸婦像などは西洋画壇の絶賛を浴びたエコール・ド・パリの代表的な画家です。

 

子供の頃から絵を描き始めた藤田嗣治は、中学校を卒業するころには、

画家としてフランスへ留学したいと希望するようになっていました。

森鴎外の薦めもあり東京芸術大学美術学部西洋画科に入学しますが、

当時の日本画壇はフランス留学から帰国した黒田清輝らのグループにより性急な改革の真っ最中で、

いわゆる印象派や光にあふれた写実主義がもてはやされていました。

そのため、藤田の作風は不評で成績は中の下だったそうです。

精力的に展覧会などにも出品しましたが、当時黒田清輝らの勢力が支配的だった文展などでは全て落選しています。

 

1913年に渡仏しパリのモンパルナスに居を構えます。当時のモンパルナス界隈は町外れの新興地にすぎず、

家賃の安さで芸術家、特に画家が多く住んでいました。

藤田は隣の部屋に住んでいて後に「親友」とよんだアメデオ・モディリアーニやシャイム・スーティンらと知り合います。

また彼らを通じて、後のエコール・ド・パリのジュール・パスキン、パブロ・ピカソ、

オシップ・ザッキン、モイズ・キスリングらと交友を結びました。

また、同じようにパリに来ていた川島理一郎や、島崎藤村、薩摩治郎八、金子光晴ら日本人とも出会っています。

 

パリでは既にキュビズムやシュールレアリズム、素朴派など、新しい20世紀の絵画が登場していて、

日本で「黒田清輝流の印象派の絵こそが洋画」だと教えられてきた藤田は大きな衝撃を受けます。

この絵画の自由さ、奔放さに魅せられ今までの作風を全て放棄することを決意しました。
戦後、面相筆による線描を生かした独自の技法による、独特の透きとおるような画風を確立し、

以後、サロンに出すたびに黒山の人だかりができました。

サロン・ドートンヌの審査員にも推挙され、急速に藤田の名声は高まりました。

藤田は当時のモンパルナスにおいて経済的な面でも成功を収めた数少ない画家となり、

フランスでは知らぬものはいないほどの人気を得ました。

1955年にフランス国籍を取得し、その後は日本に戻ることなく1968年スイスのチューリッヒで亡くなりました。

 

ひるねこ堂では藤田嗣治の作品を高価買取しております。
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