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パウル・クレー

1879年 スイスの首都ベルン近郊のミュンヘンブーフゼーに生まれる
1900年 ミュンヘンの美術学校に入学する
1906年 ミュンヘン分離派展に銅版画を出品する
1910年 ベルン等で個展を開く
1914年 春から夏にかけてのチュニジア(北アフリカ)旅行
1916~1918年 第一次世界大戦に従軍する
1921~1931年 バウハウスで教鞭をとる
1940年 死去

 

パウル・クレーは、スイス出身の近代画家で、その作品は、表現主義、キュビスム、

シュルレアリスムなど当時の前衛芸術運動のさまざまなスタイルから影響を受けた個性的なスタイルが特徴です。

温かな色使いと哲学の香り、そしてどこかかわいらしいタッチの作風で、見る者の心をつかんで離しません。

 

クレーの父親は音楽教師であり、母親は声楽家という音楽一家に生まれました。

クレー自身も子供のころからヴァイオリンも習い、11歳でオーケストラ・メンバーとなるほどの腕前であったといいます。

一方で、幼いころから絵を描くことが好きであったクレーは、祖母から洋画の手ほどきを受けていました。

 

また、文学にも関心が高く、詩を作ったり、日記を書き記したりしています。
高校卒業後、当時はパリと並ぶ芸術の都だったミュンヘンに出て、2年後に美術学校に入学し、

象徴主義の大家フランツ・フォン・シュトゥックの指導を受けます。シュトゥックはカンディンスキーの恩師でもありました。

しかし、学校の画一的な教育はクレーにあわず、1年後の1901年には退学しています。

同年から翌年にかけてイタリアを旅行してルネサンスやバロックの絵画や建築を見て回り、特に建築の純粋さから多くを学びました。

 

1914年にクレーはチュニジアに旅行へ行き、チュニジアのきらめくような陽射しや気候、風土に触れ、

鮮やかな色彩に目覚め、これによりクレーの作風は大きく発展しました。

そして、2年間に及ぶ兵役の後、クレーは次第に洋画家として世間に認められるようになり、バウハウスで教べんをとっています。

ここでの講義や絵画理論の研究を通して、クレーの芸術観や絵画はいっそう深化していきます。

 

 

「芸術は見えないものを見えるようにする」と主張していたクレーの作品は通常のキャンヴァスに油彩で描いたものはむしろ少なく、

新聞紙、厚紙、布、ガーゼなどさまざまな支持体に油彩、水彩、テンペラ、糊絵具などさまざまな画材を用いて描いています。

サイズの小さい作品が多いことも特色で、タテ・ヨコともに1メートルを超える『パルナッソス山へ』のような作品は例外的です。
2005年に故郷ベルンに約4000点の作品を収蔵し、

彼の偉業を集大成した「ツェントルム・パウル・クレー」(パウル・クレー・センター)がオープンしました。

日本では宮城県美術館に35点のコレクションがあります。

 

ひるねこ堂ではパウル・クレーの作品を高価買取しております。
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