高価買取作家
長谷川潔
1891年 神奈川県横浜市で生まれる
1911年 菱橋洋画研究所に入り黒田清輝に素描を学ぶ
1912年 本郷洋画研究所に入り岡田三郎助・藤島武二に油絵を学ぶ
1918年 渡仏
1935年 フランス政府からレジオン・ドヌール勲章を受章する
1966年 フランス文化勲章を受章する
1966年 現代日本美術展で特賞を受賞する
1967年 勲三等瑞宝章が授与される
1980年 89歳で死去
長谷川潔は、28歳から89歳で死去するまでフランスに住みつづけ、創作と発表活動を展開した洋画家であり、銅版画家です。
オディロン・ルドンの暗示的な表現に最大の関心をあらわし、自分自身も小鳥や砂時計、
植物などに象徴的な意味を持たせた作品の制作を行いました。
長谷川潔はメゾチントと呼ばれる、古い画法を復活させ数多くの名作を生み出しています。
この技法はフランスで身につけています。元々体が弱かった長谷川潔は、勤め人の道は捨て、好きであった絵画の道へ進みます。
中学校を卒業した後、黒田清輝、岡田三郎助、藤島武人に画を学び、技術・精神ともに鍛錬します。
その後、弟と大森の洋館に住むようになり、文芸雑誌「聖盃」の表紙を交代で担当となります。
この雑誌を通じ様々な人間関係を築きます。文学書の装丁も手がけ、
自画自刻の制作版目木版画や木口木版画の制作を手がけているのです。
1914年年には来日中のバーナード・リーチに銅版画法について尋ねています。
1916年、永瀬義郎、広島晃甫とわが国初の版画家グループ「日本版画倶楽部」を結成し、創作版画展を開催しました。
そして、周りの画家や周囲の芸術家たちの行動を見聞きし、フランスに行くしかない、という理由から渡仏しています。
この渡仏を機に、故郷である日本には帰らず生涯をパリで過ごすようになります。芸術家として大成するため、
膨大な数の油彩画や版画を勉強・制作し、大型の銅版画やもうフランスでは廃退してしまったメゾチントを復活させ、
パリ画壇から大きな称讃をもって迎えられたのだそうです。1923年からサロン・ドートンヌ等のサロンや展覧会に作品を出品。
1925年には初の版画の個展を開き、高い評価を得ました。翌年1926年にはサロン・ドートンヌ版画部の会員となり、
パリ画壇で確固たる地位を築きました。
そんな長谷川潔の作品で有名なのは1941年「窓からの眺め(シャトー・ド・ヴェヌヴェルの窓)」です。
繊細である写実的な表現方法で、細部にまでこだわりを見せる長谷川潔独特の実直さを感じます。
また、1961年に発表された「薔薇と時」ではメゾチントを用いた黒い表現がなされています。
戦後、徐々に制作を水彩画から版画制作に集中するようになり、高度な技術を用いた素晴らしい作品を残します。
数多くの名誉ある賞を受け、生涯を芸術の街であるパリで過ごした長谷川潔。彼の心にある芸術は永遠に色褪せることはないでしょう。
1964年フランス芸術院コレスポンダンス会員となり、1966年にフランス文化勲章を受章、翌年パリ市の金賞牌が授与されるなど、
日本よりフランスの方ではやくから評価がなされ、1972年には、フランス国立貨幣、賞牌鋳造局の肖像メダルに、
日本人では葛飾北斎、藤田嗣治につぐ三人目として刻されました。死去の年にあたる1980年、
京都国立近代美術館で「長谷川潔展」が開催され、版画131点、油彩画22点が出品されました。
ひるねこ堂では長谷川潔の作品を高価買取しております。
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