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原精一

1908年 神奈川県藤沢市で生まれる
1923年 藤沢高校在学中に萬鉄五郎に師事
1926年 鳥海青児に師事 国画創作協会洋画に「四月風景」初入選
1927年 第5回春陽会展にて「冬の風景」が入選
1936年 第14回同展にて「シュミーズの女」などが春陽会賞を受賞する
1938年 「戦場スケッチ」が第2回佐分賞を受賞する
1942年 第20回春陽会展にて「笛吹き」などで岡田賞を受賞する
1975年 女子美術大学教授に就任する
1986年 78歳で死去

 

原精一は、画家を志すようになってからずっと描き続けている裸婦像で知られ、しっかりとした骨格、

ダイナミックでリズム感のある女性像に特質が認められます。また、高いデッサン力で多くの個展を開いては盛況を得ています。

裸婦画や人物画を多く描き、独特のタッチに繊細な写実力が特徴で数々の名誉ある賞にもいくつも輝いています。

 

戦中画家でありながら2度の招集を受け、いち兵士として戦場をさまよっていた記録があります。

ビルマ・インパール作戦にも従軍、奇跡的に助かり抑留生活後復員しました。

そんな状況の中スケッチを描き続け、その数は数百枚に及び、個展が開かれる程の高いクオリティを保っています。

そんな原精一は師事していた萬鉄五郎の唯一の弟子と言って良いほど個性的な画家でした。

通常、師事する画家の影響を受けることが一般的なのですが、原精一の場合、作風はまったく別です。

鉄五郎の特徴あるフォ–ビスム、キュビスムとした作風とは違い、

独特な油彩独特のタッチを写実的に描く原精一はこの師弟関係を精神的なつながりと表現しています。

強い精神力を宿した原精一は“書く”という作業に取り憑かれ、時間さえあれば作品を作っていました。

 

そんな原精一の作品「裸婦」ですが、憂いのあるような顔つきの女性が果敢なげに遠くを見つめている姿が特徴的です。

とはいえ、暖色系を基本とした色彩のバランスや、明るい光りの使い方などで爽やかな印象すらも受けます。

たおやかな人柄ながら芯の通った原精一の人間性を表しているのではないでしょうか。

 

戦後、帰国した原精一は画家として大きく評価を得ていきます。

1948年には国画会に会員として迎えられ、1964年まで在籍しています。

フランスをはじめとするヨーロッパにも渡り、生涯自らの芸術の真髄を追求していきます。

デッサンを通じ、全ての対象物の核となる真実を見出してきた原精一。

彼の作品と生き様に、未だなお多くの人々が憧れ、尊敬している画家なのです。

 

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