高価買取作家
長谷川利行
1891年 京都府京都市山科区で生まれる
1919年 「長谷川木葦集」歌集を発行する
1921年 上京する
1923年 第1回新光洋画会展にて「田端変電所」が初入選
1925年 第14回二科展で樗牛賞を受賞する
1926年 一九三〇年協会展にて「カフェ・パウリスタ」が奨励賞を受賞する
1940年 49歳で死去
長谷川利行は、小説・歌集を発表する傍ら、絵画制作に力を注ぎました。生活は,放蕩,無頼をきわめましたが、
強い色彩を駆使したフォーヴィズム的画風を示し、下町風景や肖像画をよく描きました。
日本のゴッホと謳われ、数々の名作を残した長谷川ですが、その無類な性格が仇となり、
悲惨な生涯を終えた破天荒な芸術家として言い伝えられています。
中学時代に文学に目覚めて以来、絵や詩などを書く様になり、芸術家としての第一歩を歩みだすキッカケになっています。
しかし、水彩画や詩は結果的に続けられず、関東大震災を機に詩を辞め、突然油彩画に傾倒していきます。
1〜2時間で油彩画をそれらしく描いてしまう速筆を独学で身につけ、自身の「アトリエ」を持たず、
「思い立ったら絵を描く」スタンスを生涯続けました。二科展や帝展などに出品しますが落選を重ねます。
その後、努力の甲斐あり第1回新光洋画会展で入選を果たします。その後、麻生三郎や井上長三郎などとの交流を経て、
画家としての地位を上げていきます。しかし、その後の荒々しいタッチで描かれる作品はアカデミックな画壇達には認められず、
入選の機会などを逃します。生きたいように生きて、書きたいように書いたその生活からか、
酒乱と奇行を繰り返し仲間うちの画家たちからは爪弾きにされていたようです。
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