高価買取作家
難波田史男
1941年 東京都世田谷区経堂に生まれる
1957年 早稲田大学高等学院に入学する
1960年 文化学院美術科に入学する
1962年 文化学院を中退する
1965年 早稲田大学第一文学部(美術専攻)に入学する
1967年 第七画廊(東京・新橋)で初の個展を開催する
1974年 32歳で死去
難波田史男は、自由なスタイルで制作に没頭し、ペンと水彩を用いて、なぐり描きのようなタッチと強烈な色彩の、
人物や建物が浮遊する画風を展開しました。夭折の画家、青春の画家として今でも高い人気を持っています。
父に芸術家として高名な難波田龍起をもつ難波田史男は、小学生の時分から油彩画に挑戦しいています。
さらに、文学などに親しみ芸術に関する刺激を多く受けていたと言います。画家を目指して文化学院美術科に入学するものの、
その教育方針に馴染むことができず、中退してしまいます。しかし、芸術への愛情は衰えることはなく独学で絵画制作をとことん突き進めて行きました。
難波田史男の作風に見られる特徴は強烈で鮮烈な色彩使いに、物体が浮遊しているような幻想的な雰囲気です。
早稲田大学大一文学部美術専攻科に入学後は数々の個展を開き、数多くの秀作を発表展示していきました。
孤独に向き合う勇気と強さ、をテーマに掲げ繊細なタッチと幻想的な世界観で、
自分の心の奥に眠る感情を心象風景として描いた難波田史男の作品は、独創的な抽象画が多く存在します。
1961年に発表された「自己とのたたかいの日々」では、生き物の集合なのかドームなのか、それとも心の奥に巣食う何ものなのか、
本人でしかわかりませんが、様々な苦しみを感じさは意図されているでしょう。
現実の世界ではなく、彼の心にもうひとつある、パラレルワールドとしての何かをパレットに落とし込んでいたのではないでしょうか。
さらに1972年に描かれる「小鳥の巣」は一転、とても鮮やかでヴィヴィットな色彩で構成された作品です。
青、赤、緑と3原色を中心に配しながらも、小鳥だけがシンプルに描かれるポップともとれる一枚になっています。
自室に籠り、クラシックを聞きながら自己との折り合いをつけて芸術と向き合っていたという難波田史男は心の孤独と常に正面から戦い続けてきたのです。
先鋭美術家としての良い時期を迎える寸前、一ヶ月連絡が途絶え、遺体となって発見された難波田史男はその時、若干32歳でした。
1日に20枚の作品を描くこともあったというほどの、制作への没入ぶりであったため、18歳から画業を始め、約15年という短い画家人生でしたが、2000点以上もの作品を残しました。
彼が亡くなってからしばらくの間、夭折を惜しむ回顧展が日本各地で開催され、東京オペラシティや世田谷美術館に作品が収蔵されました。
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