高価買取作家
中西利雄
1900年 東京都に生まれる
1921年 東京美術学校西洋画家に入学する 第9回日本水彩画会展に初入選
1924年 第5回帝展、第11回光風会展に初入選
1927年 美術学校を卒業し、研究科に進む
1928年 渡仏
1930年 サロン・ドトンヌに入選
1931年 帰国
1932年 第19回日本水彩画会展に滞欧作を出品する
1935年 第二部会展で特選、文化賞を受賞する
1936年 小磯良平、猪熊弦一郎らと新制作派協会を結成する
1948年 48歳で死去
中西利雄は、不透明描法の明快な色調と近代的な感覚を持つ独自な画境を示す共に水彩画の新生面を拓いた洋画家です。
20歳の頃より、本格的に絵画を描き始めました。日本水彩画会仮研究所にて美術を学び、その後22歳で東京美術学校の西洋画科に入学しています。この年に大正、昭和期の水彩画に新風を吹きこんだ蒼原会の前身、東京三脚会を結成し、以降もこの会のリーダー的な存在として会の活動を牽引しました。
彼の絵画人生は、水彩画と共にあると言っても過言ではありません。中西利雄の画家人生の初期の頃、水彩画は衰退していました。水彩画を愛する彼は、水彩画の活気を再び取り戻そうと、同じ志を持つ仲間達と共に、蒼原会を立ちあげております。初期の傑作の1つである森のカフェ。水彩画ながらも油彩画に引けをとらない重厚さがあります。中西利雄には卓越したデッサン力があり、技術的に難しいとされる、大画面での等身大の人物水彩画も描き上げています。これが、彼の代表作の1つ、「彫刻と女」です。中西利雄の優れた水彩画は、日本美術会に強い影響を与え、結果として水彩画の活気を再び取り戻す事に成功しています。
ちなみに中西利雄はパリ留学の経験があります。パリでも章を受章し、彼の優れた水彩画は、芸術の本場パリでも認められる程のものであると証明しました。また、このパリ留学の経験から、西洋絵画への理解をより深め、その後の作品に強く活かすようになっています。
1948年、大仏次郎の「帰郷」の挿絵を毎日新聞に連載していましたが、病のため中絶。48歳にてこの世を去りました。22歳で大学に入学したという事を考えると、彼の画家としての人生はやや短かったと言えるでしょう。しかしその間に彼の残した優れた水彩画は、美術界にとって無視できないものとなりました。ご存知の通り、上塗りできる油彩画に比べて、水彩画は塗り重ねが基本的に不可能なものです。それだけに、非常に高い画力を必要とします。そんな難易度の高い画材である水彩を使いながらも、重厚感あふれる作品を多く残している事は、中西利雄の画力の高さを如実にあらわしていると言えるでしょう。理知的で都会的なセンスにあふれる作品の数々は没後60年以上たった今も輝きを失っていません。
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