高価買取作家
野田英夫
1908年 カリフォルニア州サンタクララ市で生まれる(英語名:ベンジャミン・ノダ)
1931年 壁画・テンペラ画を研究する
1932年 ウッドスタック美術協会賞を受賞する
1933年 ニューヨークでディエゴ・リベラの壁画制作の助手をつとめた
1939年 30歳で死去
油絵と壁画を得意とし、米国に多数の壁画作品を残しています。アメリカと日本という二重の国籍をもつがために、
精神的なよりどころが分断された状態が表現に潜んでいるようです。異なるイメージが継ぎ合わされ、
重なり合って画面が構成される、モンタージュ的手法が野田英夫の作品には多く見られます。
3歳の頃、熊本の叔父の元に預けられていますが18歳の頃に生まれ故郷のアメリカに戻っています。
画家を目指した野田英夫は、ハイスクール卒業後にカリフォルニア美術専門学校に入学しており油彩だけでなく、
壁画制作にも関わっています。この壁画制作が後の野田英夫を作り上げる大きなきっかけになります。
1930年にメキシコの画家、ディエゴ・リベラに出会い、その製作助手を勤めるという大役に抜擢されたのです。
このディエゴの独特な絵画方法や、芸術思想に大きな影響を受けた野田英夫は後の自身の作品に多大なる影響を受けました。
あの有名なロックフェラーセンターの壁画制作においても、ディエゴは名指しで野田英夫を指名するほどであったそうです。
米国に於ける展覧会では、ウツドスタツク美協会展、ニユーヨーク・ホイツトニイ全米作家展、
シカゴ・アートインステチユート展、桑港美術協会展、ワシントンココランギヤラリー展等に出品し、度々受賞しています。
帰国後は二科展などに積極的に出品し、数々の名誉ある賞を受賞しています。
当時のアメリカの不況による背景か、壁画制作が盛んにあったため、野田英夫はその壁画を通じて、
美術家が社会の中でどのような役割を持たなくてはいけないのか、
という事を真剣に考え自身の美術様式を生まれる瞬間に着目していきます。
野田英夫が1936年に描いた「風景」は砂ホコリが飛び交うような土の周りに生い茂る木々がある車道を描いた作品です。
今にも雷雨や天災がおこるのではなかろうか、という鬱蒼とした空間で捉えた構図で不気味さと、
普遍的な日常の優しさなども感じることができます。
繊細で写実性に富んだその絵画方法や、陰鬱としながらも幻想的な雰囲気を最大限表現できる色彩の構図などはさすがです。
そのほかにも「作品」と名付けられた何枚かのデッサンなども残っています。
このデッサンも評価が高く、ファンの間でも人気の作品です。
しかし、画家として一番乗り始めていた銀座日動画廊での個展の時、体調の変化に気付き、脳腫瘍と判明し、
手術の結果も虚しく30歳という若さでこの世を去ってしまっています。アメリカと日本のアートにおける、
重要な橋渡しを行い続けた野田英夫。ヨーロッパ志向型であった当時の日本画壇に、
彼がアメリカ的異質の新風を吹き込んだことは間違いありません。
ひるねこ堂では野田英夫の作品を高価買取しております。
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