高価買取作家
難波田龍起
1905年 北海道旭川で生まれる
1924年 高村光太郎を知る
1926年 早稲田大学政経学部に入学する
1928年 川島理一郎に師事
1929年 第4回国画会で初入選する
1971年 紺綬褒章を受章する
1988年 「今日の作家 難波田龍起展」を開き毎日芸術賞を受賞する
1995年 北海道新聞文化賞を受賞する
1996年 文化功労者
1997年 92歳で死去
難波田龍起は、70年以上におよぶ画家としての活動を通し、一貫して真摯な姿勢をつらぬき、生涯、自身の内面との対話の中から、
日本的詩情あふれる抽象表現の可能性を追求しつづけました。日本的な詩情を湛えた抽象表現の一つの到達点とも言われ評されています。
早稲田大学に入学して間もなく関東大震災が訪れ、世は混乱をきわめていましたが、難波田龍起はここで運命的な出会いを果たします。
その時の夜警警備の際、高村光太郎と出会いアトリエに行き来する仲となっているのです。
高村光太郎の崇拝しているゴッホに難波田龍起も感銘を受け、早稲田大学を中退、太平洋洋画会研究所で石膏デザインなどを学んでいます。
しかし、なかなか自分のものに出来なかった難波田龍起は研究所を辞め、川島理一郎の主催する絵画研究所の金曜会に入会しています。
ここで、ルドンに感銘を受け傾倒した難波田は第4回国画会展に入選を果たします。これをきっかけに彼の画家人生が始まります。
戦後は、戦後抽象画家として活動、現代日本美術展や日本国際美術展などでも活躍しました。
1937年に設立に参加した自由美術家協会を1959年に退会し、以後は個展を中心に活動しました。
自由でありながら一方で厳しいまでに色や形を追い求めた龍起は、西洋にはない独自の抽象絵画を確立したのです。
難波田龍起の作品を語る上で、木版を作成した「両面刷り」などの技法を活かした作品も注目です。
1962年に発表した「交響曲1962」は、まさに命の叫びを表現したような力強く魂のこもった作品になっています。
また、現役の画家として活躍するだけでなく、教師としても様々な芸術の分野に貢献しています。
女子文化大学室蘭短期大学教授を歴任し、自らの信じる芸術を多く之学生に伝え続けているのです。
画家としてだけでなく、その有志と人柄も大きく評価を受けています。
「 抽象美術は、人間の空想力や想像力を取り戻すものである。そして、目に見える現実のみに執着する人間の心を、
もっと広い世界、目に見えない世界へ解放するのである。」と述べている通り、難波田龍起の絵画のメッセージは、
見る人の感受性を刺激し、今そこにいる自分の感覚を再認識させてくれることでしょう。
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