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高価買取作家

中谷泰

1909年 三重県松阪市で生まれる(本名:中谷泰一)
1929年 川端画学校に入り石膏デッサンを始める
1930年 第8回春陽展にて「街かど」が初入選を果たす
1939年 新文展にて特選を獲得する 春陽会会友に推挙される
1942年 第5回文展にて「水浴」が特選を獲得する 以後木村荘八に師事
1959年 日本国際美術展で優秀賞を受賞する
1971年 東京藝術大学美術学部教授になる
1976年 いわさきちひろ記念事業団理事長に就任する
1993年 84歳で死去

 

中谷泰は昭和から平成にかけて活躍した洋画家であり、挿絵作家でもあります。、

坪田譲治の名作児童文学『善太と三平』の挿絵を皮切りに、戦後のNHKのラジオドラマ番組「光を掲げた人々」をもとにした「光を掲げた人々」シリーズ全12巻の多くで挿絵を担当しました。

 

戦前戦後は春陽会を中心に静物画を中心に多くの作品を残しております。初期の傑作としては、春陽展で入選した街かどがあります。

彼の画風は、年代と共に大きく変化しています。静物画から始まった彼の作歴は、中期に入ると社会性の高い作品へと変化していきます。

彼の作歴の中期は、昭和の中期とほぼ合致します。当時は現代ほど農村の灌漑設備などがしっかりしておりませんでした。

それ故に、地方の農民は、災害に悩まされる事も多々ありました。

災害にあった農民達をモチーフとした社会性の高い作品である農民の顔などは、その頃に残した傑作です。

その後は、人物をモチーフとしたものから、風景画へと彼の作風は移行していきます。

ただ、自然のみをモチーフとしたものよりも、人の生活を感じられる風景を切り取った作品が多いです。

炭鉱といった作品は、当時の地方文化の景色の1つを切り取った傑作です。

その画面からは社会性が退き、人間のたゆまぬ労働で作り上げられた炭坑のボタ山や陶土の採掘跡をモチーフに油彩画の堅牢なマチエールと造形性が追求されるようになりました。

 

戦後は、日本美術会の書記長を務めた美術評論家の水沢澄夫に誘われ、同会に入会しました。
晩年は日本美術会役員や東京芸大教授などの地位に付き、美術界の発展に力を尽くしました。

ちなみに、絵本画家である「いわさきちひろ」に油彩を指導するなどしており、後進の育成にも積極的でした。

中谷泰の人生は、画家としても恵まれ、人の輪にも恵まれた豊かなものでした。画家として活躍した時期も非常に長いものです。

1993年、第70回春陽会展に出品した「村の往還」が最後の発表となりました。

 

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