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高価買取作家

田崎広助

1898年 福岡県八女郡立花町で生まれる(本名:田﨑廣次)

1916年 画学生らが催した洋画展に出品する

1917年 福岡県師範学校に入学する

1932年 渡仏

1935年 帰国

1939年 一水会の創立に参加する

1974年 ブラジル政府コメンダドール章オフィシエ章を受章する

1975年 文化勲章を受章する

1984年 86歳で死去

 

洋画家・田崎広助は、阿蘇や桜島など雄大な山の自然を力強い構図と豊かな色彩で描き、その画風は現在もなお人々を魅了しています。

幼いころから絵画に関心があり、その道に進むことを希望しますが、父の反対で東京美術学校進学を断念します。22歳のとき家族の反対を押し切り画家を目指して上京し、本郷駒本小学校の図画教師のかたわら、同郷の坂本繁二郎に師事します。

1923年関東大震災のため京都に移り、錦林小学校に勤めながら聖護院の関西美術学校に学びます。1926年、第13回二科展に『森の道』『山百合』『京都吉田山』が初入選を果たします。

1932年から3年間、パリ・イタリア・スペインなど周遊しながら絵を描きました。1933年、サロン ドートンヌに「パリの裏町」ほか2点が入選しました。

 

山岳風景をモチーフとした絵を多く描き、その中でも熊本の阿蘇山を題材にしたものが多く「阿蘇の田崎」とよばれました。

豪壮でたくましい山を表現しながらも、田崎の絵は温かみのあるユーモアが感じられる筆致です。東洋的な自然への憧憬とパリ留学で受けた印象派・セザンヌの影響、日本的油絵様式を調和させ、独特の画風に変化させていきました。

田崎は富士山、阿蘇山、浅間山などの作品群で圧倒した存在感を示し、「素朴で豪胆」という硬軟同居の味わいを確立しました。彼の作品は、既存のどのジャンルにもあてはまることがありませんでした。 晩年は何度も富士に足を運び、「山の美しさは稜線にあり、厳格な美しい自然景観は富士にしかない」と、何点もの富士山の絵を描きました。

 

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