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高価買取作家

須田剋太

1906年 埼玉県鴻巣市で生まれる(本名:勝三郎)

1934年 寺内萬治郎の武蔵野会に参加する

1936年 文展初入選

1939年 文展で「読書する男」が特選を受賞する

1949年 国画会に入り抽象画の道へ進む

1955年 第3回日本抽象美術展に出品する

1957年 第4回サンパウロ・ビエンナーレ国際美術展に出品する

1961年 現代日本絵画展に出品する カーネギー国際現代絵画彫刻展に出品する

1971年 「街道をゆく」の挿絵を描き始める

1983年 「街道をゆく」の挿絵で第14回講談社出版文化賞を受賞する

1990年 84歳で死去

 

須田剋太は文展・日展をはじめ現代日本美術展・国際展等で活躍しました。力強く奔放なタッチによる生命力のある表現が異彩を放ちます。洋画以外にも、書・陶芸家としても知られています。

 

初期の頃の作品の多くは具象画がメインであり、官展の特選を重ねています。しかし、1949年に抽象画の旗手長谷川三郎との出会いをきっかけに一転、抽象画への道を辿る事になります。転身後も、天性の絵画技術で様々な表彰を受け、日本の洋画家界には欠かせない重要な芸術家として名を馳せて行ったのです。

 

そんな、須田剋太の作品の特徴としては、力強く個性溢れるダイナミズムなタッチで描かれる構図と色彩でしょう。数々の作品の奥に込められた彼の芸術への魂が手に取るようにわかる作風が特徴でしょう。

須田剋太の描く作品は本質が込められているということで、晩年の彼の作品を求める人で溢れ変えるほどであったといいます。元々具象画での才能を認められているだけあり、事の本質を見抜く力というものは天性の才能とも言えるべき物であったのではないでしょうか。

 

また画家自身が道元の「正法眼蔵」に深く傾倒したように、画業の根底に東洋思想が流れているとの指摘がしばしばなされます。一方、縄文土器や土偶などのプリミティーフな美へも強い関心を示し、そこから独自の絵画論を展開、こども美術展を主宰したりもしました。

須田剋太の作品を見る場合、ただの抽象画として捉える姿勢は間違いです。須田の言葉で「絶対矛盾の自己同一・具象も抽象も帰するところはひとつ」というように、結果的には天衣無縫、感じるままに作品を受け取る見方が正解なのです。

 

そんな、彼の描く作品の「菓子器」は鮮烈な赤を中心に様々な菓子がその上に散りばめられている作品です。荒々しくも、優しく人間味溢れたそのタッチでフォービスム的な写実性を存分に感じ取ることも出来ます。

青と赤という単純な組み合わせで構図をとっていますが、その絵画自体の持つ意味の奥行きは深く、豊潤さも味あわせてくれる貴重な作品です。また「鯛」はまさに鯛そのものを描写したものなのですが、色彩の使い方が素晴らしいため、活きが良く、まさに魚の王様である風格を思わせる迫力のある作品になっています。

 

晩年の須田剋太は、挿絵などの世界でも活躍を見せ、数多くの挿絵を制作しています。評価も世間的に非常に高いです。

晩年は天衣無縫な生活とは別に、関西の画家中所得番付がトップを占めるなどその作品の評価と価格は上がりましたが、平成元年、手持ちの自作の全てを公的機関(大阪府2134点、埼玉県立近代美術館225点、飯田市美術博物館458点)に寄贈し話題を呼びました。

 

ひるねこ堂では須田剋太の作品を高価買取しております。

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