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高価買取作家

里見勝蔵

1895年 京都市四条で生まれる

1913年 関西美術院に入学する 鹿子木孟郎に師事

1914年 東京美術学校西洋画科に入学する

    長原孝太郎に素描を学び、小林万吾・藤島武二・黒田清輝に油絵を学ぶ

1917年 ニ科展にて「職工」が初入選を果たす

1919年 東京美術学校西洋画科を卒業する

1921年 渡欧 ヴラマンクに師事

1925年 帰国 第12回ニ科展「マリーヌの記念」樗牛賞を受賞する

1926年「1930年協会」結成に参加する

1927年 第14回ニ科展「裸女の化粧」ニ科賞を受賞する

1930年 児島善三郎・林武・三岸好太郎らと「独立美術協会」を創立する

1981年 85歳で死去

 

里見勝蔵は、グラマンクから大変な影響を受け、日本でフォービズムの第一人者として活躍 した洋画家です。

 

東京美術学校では、長原孝太郎に素描を、小林万吾、藤島武二、黒田清輝に油絵を学びました。

若い頃から、才能を買われていた里見勝蔵は、同学校に在学中に二科展と院展に入選を果たしています。その作風は日本的ながら独創的で、当時の見るものを唸らす素晴らしい作品を多く描いていました。渡欧前は、美校三年生の頃知った安井曽太郎を最も尊敬し、セザンヌにも傾倒していました。

 

里見勝蔵の転機となるのがフランスに渡ってからです。この時期、フォービスムの巨匠と言われた画家グラマンクに師事します。この出会いで、フォービスムの持つ荒々しくも鮮やかで情緒的な絵画方法に目覚めた里見勝蔵は帰国後、特に勢力的に制作を続けて行っているのです。当時の日本では、本格的なフォービスムの文化は広く根ざしてはおらず、里見勝蔵はフォービスムの息吹を当時の日本に与えて行きました。

また、渡仏中、前田寛治、小島善太郎らと交友し、佐伯祐三をプラマンクに紹介したことでも知られています。、1924年には「巴里の展覧会-ルオーの展覧会を観る-」を「中央美術」に投稿し、これが日本における最も早いルオー紹介となりました。

 

この里見勝蔵の作品の語るに欠かかせない作品は少女が凛々しい顔つきで描かれる「人物」ではないでしょうか。

フォービスム独特の鮮やかで力強い作風はもちろん、褐色系でまとめられた色彩の構図は特筆大書すべき作品でしょう。明暗、奥行きなどの虚無を一切捨て、ありのままの感性で人間の真実を描くこの画法の良い部分を全て集約しているような斬新な作風は、当時の日本において大きな衝撃を与えたことでしょう。

原色のうねりが作品全体を包み、人物と称された女性の強く、曲がる事のない信念が伝わって来る秀作です。

 

また、里見勝蔵は様々なヨーロパの画家の作品に影響を受けては、自分の絵画技術の中に落とし込んで行きます。1923年に二科展に出品された作品「女の顔」はまさにその幻想的で独特の作風から、エコール・ド・パリの代表的作家であるモディリアーニを彷彿とさせる作品です。

ただ、やはり里見勝蔵のフォービスム精神は随所に現れており、模倣ではなく彼独自の目線で描かれた完全なるオリジナル作品となっているのです。

晩年まで一貫してフォーヴの画風を展開し、強烈な色彩と奔放な筆触による独自な画境を拓きました。著書に『ブラマンク』『異端者の奇蹟』『赤と緑』『画魂』などがあります。

 

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