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高価買取作家

小山敬三

1897年 長野県北佐久郡小諸町荒町に生まれる

1915年 旧制長野県立上田中学校を卒業、慶應義塾大学予科に入学する

1916年 川端画学校で藤島武二に師事

1920年 渡仏

    アカデミー・コラロッシでシャルル・ゲランに油絵を学ぶ

1928年 帰国

1936年 有島生馬・山下新太郎らと一水会を結成する

1959年 連作「白鷺城」日本芸術院賞を受賞する

1960年 日本芸術院の会員になる

1970年 文化功労者

1975年 文化勲章を受章する

    小諸市立小山敬三美術館が完成する

1987年 89歳で死去

 

小山敬三は、昭和期に活躍した日本の近代洋画界の中核を担ってい た洋画家です。その作風も非常に雄大で、地元の長野を代表する名山、浅間山を良く モチーフに描いています。

小山敬三は裕福な商家小山家の三男として生まれました。父、小山久左衛門は短い間であったが若いころ京都に漢学の修行に出かけ、鉄斎と親交を結びました。 小山家には鉄斎の筆による「家範」があり、少年時代の小山は、この家範を父に暗誦させられたといいます。

旧制長野県立上田中学校を卒業する頃には画家を志していましたが、父の猛反対を受け、やむなく慶應義塾大学予科に入学しました。しかし画家になる夢を捨てきれず、19歳のとき父を説き伏せて慶応を中退しました。

 

川端画学校で藤島武二に師事し、23歳のとき渡仏します。同じ長野県出身の詩人・小説家である島崎藤村の助言に負うところが多かったといいます。8年にわたる滞欧生活を終え、夫人であるフランス人、マリー・ルイズとともに「アルカンタラの橋」を携えて帰国しました。1929年、フランスから帰国後、茅ヶ崎にアトリエを構えました。

 

小山の特徴は、何と言ってもその対象にあります。 「建築物に興味があって」と本人が言うように、モデルは人物や景色といった身近でなじみのあるものではなく、城やダムといった巨大な建物が多いです。

作品には風景画もありますが、そこにも渓谷や斜面、断崖のようなある種自然の構造物といったモチーフが含まれています。

描くものが硬質で無機的であるゆえ、小山の作品は色より形、情趣より構図が追求されています。陶酔を誘うような絵ではなく、圧倒的な密度と重さが迫る画風。「寡黙な色彩」といわれるゆえんでもあります。

屋根、壁、道路など線と面が重なり、交錯する構成は当然のように力強く骨太な筆致だが、どの絵からもおおらかさと逞しさが感じられます。

代表作の絵画には「アルカンタラの橋」「薄暮」「浅間山」「城」シリーズがあります。

 

油彩画の技法、修復技術の研究の必要を認識し、最晩年に私財を投じて小山敬三美術振興財団を設立し、小山敬三記念賞による油彩画家の表彰、油彩修復技術者の海外派遣を行なうこととするなど洋画の発展に大きく寄与しました。

 

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