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高価買取作家

国吉康雄

1889年 岡山県岡山市に生まれる

1906年 アメリカに移住する

1910年 ニューヨークに移動する

1914年 インディペンデント・スクール・オブ・アーツに入学する

1916年 アート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨークに入学する

1917年 新独立美術協会展に出展する

1922年 ダニエル画廊で個展を開く

1925年 渡欧する

1929年 「横たわる裸婦」で19人の現代アメリカ画家展に選出される

1931年 カーネギー・インスティチユートで受賞する

1933年 アート・ステューデンツ・リーグの教授に就任する

1947年 美術家組合(artist equity association)を設立する

1953年 63歳でニューヨークにて死去

 

国吉康雄は、20世紀前半にアメリカ合衆国を拠点に活動した洋画家です。主に油彩画を描きましたが、リトグラフなどの版画や、 写真も手がけました。

 

当時の明治政府が移住を奨励していたこともあり、17歳の若さで職を求めてアメリカに渡りました。アメリカに渡ってしばらくの間、国吉はロサンゼルス近辺で肉体労働に従事していました。

そのとき通っていたロサンゼルスの公立学校で、絵でコミュニケーションをとろうとする国吉を見た美術教師は、美術の道に進むようアドバイスします。

 

アドバイスを受けた国吉は、ニューヨークに渡ります。ニューヨークはアメリカ人社会です。この移住は、「アメリカ人として画家になりたい」という国吉の意志の表れだったと言われています。

ニューヨークでは、絵の夜間学校、アート・スチューデンツ・リーグに通いながら画家を目指しました。

アート・スチューデンツ・リーグでは、ケネス・ヘイズ・ミラーに師事しました。当時の先生、学友との交流は、技術力を向上させただけでなく、彼のなかに「画家としての哲学」を深く根付かせていきました。

 

新独立美術協会展に作品を出展した後、当時のアメリカの前衛画家が集っていたペンギン・クラブに誘われて展示会に出品し、画家活動の第一歩を踏み出しました

同時期に資産家のハミルトン・イースター・フィールドから生活の援助を受け、彼の影響もあり国吉の画風はアメリカ的モダニズムへと進んでいきます。

このころの作品は印象派のピエール・オーギュスト・ルノワールの作風、ポール・セザンヌの色調の影響を受けている。代表作に1917年の『テーブル前の女』、1918年の『自画像』などがあります。

 

苦労しながらも、1920年代に入ると新進気鋭の画家としての評価を勝ち得て、国吉は1922年に初の個展を開きます。1929年には、ニューヨーク近代美術館による「19人の現代アメリカ画家」に選ばれる栄誉に輝きました。

画家人生の初期には、子供や鳥、牛などの素朴なものを好んで描いていましたが、徐々に、娼婦やサーカス芸人のように社会の底辺で生きる人々を描くようになっていきます。

そして、日米開戦。ほとんどの日本人が収容所に隔離された中、友人たちの助けにより、国吉は収容所行きを免れましたが、それがかえってアメリカ社会の息苦しさ、つらさを国吉に体験させることになりました。

 

1948年、ホイットニー美術館で、存命中の画家としては初の回顧展が開催されます。

1952年、アメリカ代表作家の一人としてのヴェネツィア・ビエンナーレに出品し、名実ともにアメリカ美術を代表する画家として確固たる地位を築き上げました。

一方で、第二次世界大戦中には、日本人であることから、活動を制限されました。最後まで取得を熱望していたアメリカ市民権を手にすることなく、国吉は1953年に亡くなってしまいます。

国吉は晩年、もう一度日本に帰って回顧展を開き、自身の作品を日本に問おうと希望していましたが、それも叶いませんでした。

 

 

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