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高価買取作家

片多徳郎

1889年 大分県豊後高田市に生まれる

1909年 文展にて「夜の自画像」が初入選を果たす

1912年 東京美術学校西洋科を卒業する

1917年 文展「伎女舞踏図」で特選を受賞する

1918年 文展「花下竹人」連続特選を受賞する

1919年 高間惣七らと新光洋画会を創設する

1920年 東京美術学校に同期作家「四十年社」を結成する

1934年 44歳で死去

 

片多徳郎は大正から昭和初期にかけて文展、帝展を舞台に活躍した洋画家です。

「日本的油絵」を目指し、清新な画風の人物画や風景画を発表して、当時の画壇に新風を吹き込みました。

 

東京美術学校(現東京芸術大学)の学生のころ、文展に初入選し、それから、連続して賞を受賞して、若くから注目をされ始めました。東京美術学校西洋画科では、黒田清輝、岡田三郎助などに師事しました。

何度も賞をもらったので、第1回帝展では、無鑑査の推薦を受けて、以後監査外出品資格者となります。彼は生涯を通じて、約500点の絵画(油絵、日本画、素描など)を残しました。33歳のときには帝展審査委員となり、その後も何度も審査委員をつとめます。

大正12年ごろには、アルコール中毒になり、禁酒もなかなかできず、昭和初期から入退院を繰り返して幻覚を見るようにもなり、44歳のとき、自殺。明治から昭和の初めにかけては、封建的な時代から近代新時代へ変わろうとする流れがあり、留学を終えて帰ってくる芸術家たちの個性尊重などの近代芸術思潮の波が押し寄せた時代でもありました。

 

片多徳郎の作品はおおよそ3期に分けられ、第1期は、印象派風の明るい色彩のある作品、作品としては、「黄菊白菊」、「或人の母」です。これはフランスに留学していた黒田清輝の外交派の作風を受けた結果です。

第2期は、後期印象派のような日本の和風色の強い作品を描いていました。第1期とまるで反対の暗い重みのあるどっしりとした東洋的な世界観を描いています。第3期は、密度の濃い、写実的な作風になりました。

人々の話題にのぼり、画壇では人々に認められていたにもかかわらず、酒で体を壊し、自らの命を絶ちました。 画家の曾宮一念は、片多徳郎が酒を飲まないで描く作品は常識的でつまらない作品で、酒が入ると、マイナスでなく、大胆に仕事に酔う状態で、このときはすばらしい作品ができたと言っています。

酒を飲んで自分をぎりぎりまで追い詰めることで、すばらしい絵を描くという面は、自滅型の画家であったといっても過言ではないのではないでしょうか。

 

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