高価買取作家
岡田三郎助
1869年 佐賀県の肥前佐賀藩に誕生まれる(幼名:芳三郎)
1887年 岡田家の養子になる
帝国大学工学部助教授大野幸彦に洋風画を学ぶ
1892年 大幸館に入塾する。曽山幸彦・堀江正章に学ぶ
1896年 白馬会の創立に参加する
1897年 フランスに留学。ラファエル・コランに師事
1902年 帰国。東京美術学校の教授に就任する
1907年 東京勧業博覧会に出品、「婦人像(某婦人の肖像)」が1等賞を得る
1912年 藤島武二と「本郷洋画研究所」を設立する
1937年 第1回文化勲章を受章する。帝国芸術院会員となる
1939年 71歳で死去
洋画家・岡田三郎助は女性像を得意とし、日本画の様な雰囲気を併せ持つ洋画を多く残しています。明治から昭和にかけて多くの作品を残し、現代の洋画界にも多大な影響を与えました。油彩で描かれるその作品の数々は淡く幻想的ながら、どこか芯を外さない力強さも感じることができ、未だ見るものの心を離しません。
その岡田の作品を語る上で重要な作品は1935年に描かれた「裸婦」です。
当時、帝展の若手や中堅の洋画家たちによる第二部会展に出品され、岡田の実力を世間に知らしめた傑作です。この作品を描いた当時の岡田は既に66歳。
名実ともに世間では、洋画の大家として認識されていた彼が描く「裸婦」は若手では出せない、成熟したタッチと官能的な風合い、そして綿密な色彩で重ねられた幻想的な面影を感じることができます。ソファに腰掛け、どこか物悲しそうに一点を見つめるその姿は、言葉にできない色気すら感じさせてくれます。
日本人の描く洋画として秀逸な作品を残す岡田も、最初から才能を開花させていたワケではありません。
彼の画家人生に大きな影響を与えた黒田清輝との出会いが、その才能を開花させるきっかけとなりました。
外光派と呼ばれる、画面に光りが溢れたような作品を描く画家達の技法を黒田は身につけてフランスから帰国しています。
岡田は当時、基本的な絵画法しか知らず、同郷の画家である久米桂一郎に黒田を紹介され衝撃を受けているのです。岡田の作品といえば、三越呉服店のポスターや切手に利用されている「婦人像」で一度は目にしていることでしょう。
1930年に第2回欧州旅行を文部省より命じられ、ヨーロッパの美術や工芸を視察しました。明治から昭和と、日本の歴史と共に日本洋画壇を引率していった岡田の存在は忘れていけません。彼の作品に秘められた、美術への深い愛は誰にでも手に取るように分かることでしょう。
また生前は、藤島とともに東京美術学校の教授として、若い画家たちを指導することにも尽力しました。 岡田、藤島の教えは、その後、日本洋画のアカデミズムの主流を形成して行くのに大きな役割を果たしたのです。
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