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高価買取作家

青山義雄

1894年 神奈川県横須賀市で生まれる

1908年 画家を志して根室商業学校を中退。絵を独習しはじめた

1911年 日本水彩画研究所に入所し、大下藤次郎に師事する

1921年 渡仏。サロン・ドートンヌに初入選を果たす

1922年 作品「二人の男」が入選する

1929年 パリでの初の個展を開催する

1930年 第8回春陽会展で昭和奨励賞を受ける

1936年 国画会会員となる

1937年 第1回佐分真賞を受賞する

1938年 第2回新文展に審査員として初めて出品する

1993年 第3回中村彝賞を受賞する

1996年 102で死去

青山義雄は地中海沿岸の自然をモティーフに多くの風景画を描き、その鮮やかな色彩表現が特に海外で非常に高く評価されている洋画家です、水彩・油絵とジャンル問わず素晴らしい作品を生涯制作し続けた芸術家として各方面から慕われています。

青山を知るための作品であれば「二人の男」は外すことはできません。青山は、14歳という若さで画家を目指し27歳の時フランスに渡っています。サロン・ドートンヌ展に出品し、入選を果たした作品「二人の男」は、二人の男が座るその前には6時15分をさす時計が描き込まれており、画面内の人間と時間の狭間に感じる何ともいえないリアリティが、現実感をより強調しています。淡い色使いからは一見、彼の優しい人間味だけが受け取れますが、よく見れば強い政治的メッセージも感じることができる見事な作品なのです。この作品発表後に、青山は次々と入選を果たしています。

パリでは、はじめアカデミー・ランソン、ついでグラン・ショーミエールでデッサンを学び、また日本人会の書記として、館に住み込みで働くようになります。この日本人会において、林倭衛、土田麥僊、木下杢太郎、大杉栄、小宮豊隆などパリに滞在する多くの日本人画家や文化人と親交しました。

そして彼が32歳になる1926年、運命の出会いがあります。青山が生涯の師と仰ぐ「アンリ・マティス」との出会いです。当時の青山は貧しく、ニースにあるサボイ画廊に作品を委託し続けていたおり、その作品がマティスの目に止まることがキッカケだったようです。そして、出会いから3年後、画家として成熟期を迎えつつあった青山はついにパリで初の個展を開催し、マティスからの高い評価も受けます。その後も「カーニュの風景」など地中海をモチーフにした風景画を中心に、繊細で温かみのある作品を描き続けた青山。

国内でも名誉ある賞を多数受賞しています。1952年に師であるマティスに呼ばれ、17年振りにフランスに渡り、カーニュにアトリエをかまえて制作をつづけた。しかし青山の渡仏の2年後にマティスは死去。青山はその時の心境を、回想録として日本の新聞社に投稿しています。その後は、1989年に帰国するまで、日仏間を往還しながら、旺盛な制作をつづけ、国内では個展において新作を発表していました。

日本人離れした自由な感性を持ち、人生を謳歌し描いた世界は、今もなお人生と絵画の幸福を私たちに伝えてくれ、数多くの人間から今も尚支持し続けられています。

 

 

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