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アルフォンス・ミュシャ

1860年 チェコ南モラビア地方のイヴァンチッツェに生まれる

1871年 ブルノーの中学校に入学、聖ペテロ教会の聖歌隊員となる

1873年 最初の公的な仕事、雑誌モテツトの表紙を描く

1874年 聖歌隊を退団、中学を卒業、書記として働き、デッサンを学ぶ

1879年 ウィーンに行き、舞台美術工房で働く、デッサン教室に通う

1882年 リング劇場の焼失で、ウィーンを去りミクロフに移る

1883年 最初のパトロン、クーエン・ベラン伯爵に会う

1884年 伯爵の援助を受けて、ミュンヘンの美術アカデミーで学ぶ

1889年 アカデミー・コラロシュに学ぶ、クーエン伯爵の援助を打ち切られる

1891年 雑誌に挿絵を描く、ゴーギャン、ストリンドペリに出会う

1895年 サラ・ベルナールと6年間のポスター契約を結ぶ

1897年 サロン・デ・サンにて個展。ラ・プリュム誌ミュシャを特集

1904年 アメリカに招かれる。ニューヨーク、シカゴ、ボストンに行く

1906年 マリア・シティロヴァとプラハで結婚。共にアメリカに渡る

1910年 祖国に帰り、プラハに住み、「スラブ叙事詩」の制作を開始する

1931年 プラハの聖ヴィタ大聖堂のステンド・グラス制作

1939年 死去

 

アール・ヌーヴォーを代表するグラフィックデザイナーで、多くのポスター、装飾パネル、カレンダー等を制作しました。星、宝石、花などの様々な概念を女性の姿を用いて表現するスタイルと、華麗な曲線を多用したデザインが特徴です。

 

ミュシャは、チェコスロバキア、モラヴィアのイヴァンチツェに生まれました。ミュンヘン美術学校に入学し、洋画における古典的写実表現などを修得しました。卒業後、パリへと旅立ったミュシャは、有名な舞台女優、サラ・ベルナールが主演する「ジスモンダ」のポスターを代役で手掛けることとなりました。このポスターが大人気となり、ミュシャは一気に人気デザイナーの座を駆け上ります。

 

ミュシャの作品は民衆に大変人気であったため、様々な企業の商品のポスターに、その作品が使われました。例えば、煙草用巻紙、シャンパン、自転車などです。 これらは女性と様式化された装飾の組み合わせが特徴的です。特に1896年に制作されたJOB社のポスターは大変人気があり、コレクター用に小型判が作られています。また、ミュシャは、芸術を民衆のためにと考え、日常的に絵画に親しめるように小さなポストカードのようなものにも作品を用いました。また、ミュシャの絵は切手にもなっていて、チェコスロバキアの人々にとってミュシャの絵画は、生活に溶け込み、日々楽しむものであったといえます。

 

ミュシャの絵画の特徴は、その優美で繊細な装飾性にあります。草花を多分に用い、曲線を多用して平面的な構図で仕上げているこの装飾には、日本美術の影響が大きくみられるといいます。パリで大成功を遂げたミュシャは、その後、スメタナの「わが祖国」に感銘を受け、祖国のためにその後の活動を尽力することを決意します。1910年、故郷チェコスロバキアに戻り、その民族の歴史をテーマにした20枚から成る連作「スラヴ叙事詩」に取り組みました。1918年に独立を宣言した新生チェコスロヴァキアの新政府から、切手、紙幣、国章、警察官の制服にいたるまでデザインを任され、そのほとんどを無償で引き受けました。またチェコのために作成されたポスターは、ミュシャスタイルを踏襲しつつも、装飾性は抑えられ、女性たちは遥か遠くを見つめるような強い眼差しで、民族衣装に身を包んでいます。チェコ時代の作品からは、ミュシャが抱き続けたスラヴ民族や祖国への強い愛が感じられます。

 

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