高価買取作家
糸園和三郎
1911年 大分県中津町の呉服商の家で生まれる
1927年 画家を志し上京する
川端画学校・前田写実研究所に学ぶ
1930年 春陽会展で「赤い百合」「上井草」が初入選を果たす
1931年 独立展に出品する(シュルレアリスムの影響を強く受ける)
1939年 福沢一郎・麻生三郎らと美術文化協会の結成に参加する
1940年 美術文化協会の創立に参加する
1943年 松本竣介・靉光・鶴岡政男らともに新人画会を結成する
1947年 自由美術家協会に参加する
1962年 日本国際美術展にて佳作賞を受賞する
1968年 現代日本美術展にてK氏賞を受賞する
2001年 東京にて89歳で死去
昭和から平成にかけて活躍した洋画家、糸園和三郎の作品は、深い陰翳に包まれながらも独特の温かみを持つ作風が特徴的です。シュルレアリスムの影響を受けたその作品の数々は、繊細ながらも力強く、見る者の心の奥に訴えかけるような不思議な雰囲気を持っています。その糸園和三郎の代表作で、外すことのできない作品とすれば1970年に発表された「ひとり」ではないでしょうか。一人の男性が雲の中に佇むその姿は、何か陰鬱な空気感を醸し出していますが、どことなく優しいタッチには独特の温かみをもっており、一度見たら頭から離れられない作品です。
この中心にいる男性は一体何を考えているのか…。それは見た人それぞれの価値観で決まるのかもしれません。
糸園は、1931年より独立展に出品した頃から自分の方向性を見出し始め、事実を自らの世界観で包み込む方法としてのシュルレアリスムに没頭していきます。「黒い水」「黄色い水」」など独特の作品を多数描き続け、日本におけるシュルレアリスム画家を牽引していく実力もつけていきます。
塚原清一、高松甚二郎、山本正と四軌会を結成し、展覧会を開きます。1934年四軌会に斎藤長三が加わり、飾畫と改称。飾畫展には飯田操朗、米倉寿仁、土屋幸夫、阿部芳文(展也)らが参加しました。 その後美術文化協会や新人画会などを結成し様々な所属を経た後、無所属になり日大の教授に就任しています。
1979年に発表された「ブランコの老人」は独創的なタッチで描かれており、一度目にするとその世界に入り込み、抜け出せなくなるような深い味わいを感じることができます。朝焼けまたは夕暮れ、そしてブランコに乗る老人の心の中の闇なのか…。みる角度により、様々な受け取り方があり我々が試されているような気にすらなります。
とはいえ、挑戦的ではなく優しい欝感で訴えかける印象もあります。糸園は1980年代以降に、右目の視力をほとんど失い、晩年は左眼も衰えましたが作品を制作し続けたといいます。心に浮かんだ映像を長い時間をかけて醸成させ、キャンバスの上に写し換えるという糸園の作品は、画面から余計な対象物が排除されて静謐でありながら、詩情と人間のぬくもりを感じさせるものです。油彩画のほか、ガラス絵の制作も行いました。
ひるねこ堂では「糸園和三郎」の作品を高価買取しております。
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