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アンリ・マチス

1869年 フランス・ノールに生まれる。

1887年 パリ大学法学部に入り、資格試験に合格する

1890年、盲腸の手術をして、その回復を待つ間に、模写を始める。絵画に興味を持つようになる

1891年 アカデミー・ジュリアンでブーグローの指導を受ける

1895年 エコール・デ・ボーザールのギュスターブ・モローのアトリエに入学を許可される。

デヴァリエール、ルオー、アモアン、マンギャンらと知り合う。

1896年 サロン・ド・ラ・ソシエテ・ナシオナール・デ・ボーザールに出品した《読書の女》は政府買い上げとなる

1898年 結婚。新婚旅行でロンドンへ行き、ターナーに感銘を受ける

1905年 『緑のすじのあるマティス夫人の肖像』を発表する

1909年 『ダンスI』を発表する

1954年 84歳で死去

 

アンリ・マティスは、自然をこよなく愛し「色彩の魔術師」と謳われ、緑あふれる世界を描き続けた画家です。また、彫刻家および版画家としても知られています。

 

マティスの初期の作品は、自由な色彩の表現や単純化されたフォルムなどが印象的な絵画で、野獣派と呼ばれました。「ダンス」はその代表的な作品であり、青・緑・肌色の抑制された色数により画面を塗り分けています。青と緑が背景となり、そのなかで肌色の人物がリズミカルに躍動しています。抑えられた色味と計算された色調、単純なフォルムながらも卓越したデッサン力が要求される人物の表現により、画面全体が生き生きとし、より色彩が際立っています。

 

その後も、マティスは家族の肖像や室内の風景を描きながら色と形を主題にし、数々の実験的制作を行いました。自分の娘をテーマにいくつもの肖像画を描いたことなどは、その例です。それらの娘の表情はほがらかで、洗練された色彩とのびやかなフォルムが印象的な洋画です。また、数多く手がけた室内の風景の絵画では、室内から見える窓が描かれていることが多いです。それらの多くは様々な手法で装飾されており、見る者をどこか異次元へ連れて行くかのような、空間的広がりを生みだしています。

 

マティスは、晩年、病気により体力が低下したこと、よりフォルム・色彩の純化を追求するためなどから、色紙を切り貼りした切り絵(カットアウト)で壁画レベルの巨大な作品を制作して、評価を高めた。こうして生まれたのが「ジャズ」です。また、この頃マティスは南フランスのドミニコ会修道院の礼拝堂の内装デザインなどを手掛けるが、ここで使われたデザインには切り絵をモチーフにしたものなどが多くみられるといいます。

 

後世の芸術家の影響は大きく、アンディ・ウォーホルは「マティスになりたかった」と話しています。マーク・ロスコやクレメント・グリーンバーグなど抽象表現主義の作家にも影響を与え、現在、マティスはパプロ・ピカソ、マルセル・デュシャンと並んで20世紀初頭の視覚芸術に革新的な発展を促した3大アーティストの1人として、美術的な評価をうけています。

 

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