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高価買取作家

織田広喜

1914年 福岡県嘉麻市で生まれる

1931年 犬丸琴堂(慶輔)に油彩画の指導を受ける

1939年 日本美術学校西洋画科を卒業する

1940年 二科展で「未完成」が初入選

1946年 第31回二科展100号「黒装」が二科賞を受賞する

1968年 第53回二科展で総理大臣賞を受賞する

1971年 第56回二科展で東郷青児賞を受賞する

1992年 勲四等瑞宝章を受章する

1995年 賜賞・日本芸術院賞を受賞する

2003年 勲三等瑞宝章

2006年 二科会理事長になる

2012年 98歳で死去

 

 織田広喜は、哀愁を感じさせる女性の姿や幻想的に描かれた風景が特徴の作品を多く残した洋画家です。 彼の作品の多くはパリの雰囲気を都会に捉えたエスプリが効いた作品が多く、そのほとんどが少女の絵画であることで有名です。油彩で描かれた少女達のどこか哀愁に満ちた表情に、一見不気味さも感じられますが、愛らしい表情で官能的な雰囲気も醸し出されており、多くの人間を魅了し続けています。

 

若いときに父が病気になったため、家計を助けるため陶器の絵付けなどをして働き、福岡市の菓子店に勤めたのち、碓井村に戻り郵便局員として勤務します。油彩画の指導を受け、同年、ゴッホの影響を示す「ひまわり」という作品で入選します。美術学校に在学中は大久保作次郎が指導しており、後に藤田嗣治、林武らにも師事しました。

 

1960年に初めて渡仏し、それまで夢見ていたフランスを実見して、現実と想像の差異を認識するとともに、その認識を踏まえた上で想像力をもって描くことの重要性に思い至ります。フランス滞在中にサロンドートンヌに出品して翌年に帰国します。1962年にも渡仏し、第1回国際形象展に「パリ祭」「モンマルトル」を招待出品し、以後、同展に出品を続け、1972年に同展同人となりました。

 

織田広喜の描く女性の幻想的な空気感に惚れ込むアーティストや作家は多くいます。パリの女性の持つ官能的で慈愛に満ちた色気を、自身の詩心と感性で描く織田広喜の女性達はモダンな雰囲気にぴったりマッチするため、多くの著書のカバーイラストなどにも、彼の絵画は使用されているのです。寝たきりの妻の傍らで、常に自分の信じた芸術だけを描き続ける織田の姿は、愛情に満ちあふれ、まさに彼の描く作品のように慈愛に満ちた素晴らしい人柄であったことが伺えます。パリを愛し、そして愛され、その愛を絵画という方法で伝え続けた織田広喜の作品は、我々日本人の心に永遠に残り続けるでしょう。

 

現実そのままを描くのではなく、「想像し嘘をつく」ことが絵の制作には必要であると語り、初期から晩年まで、デフォルメされ浮遊するような女性像を特色とする幻想的な作品を描き、人気を博しました。

 

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